あるシチュエーションを考えてください。
目の前にとても不味そうに見える食べ物があります。
あなたは食べたくありません。
あなたの友人が「騙されたと思って食べてみてよ!美味しいから!」と言います。
さて、ここで「騙されたと思って」という文言が出ていますが、この意味はなんなのでしょう。
よくよく考えたら「騙されたと思ってるなら食べようと思わなくね?」ってなりません?
自分はずっとなってました。
ニュアンスとして「いいから試しにやってごらん」的な意味であることは経験的に知っていますが、なぜその意味になるのかは小学生の頃からの謎でした。
最近になってようやく「恐らくこういう理屈でこういう意味になるのだろう」と自分なりに納得できたのでここに書き記します。間違っていたら教えてください。
「騙された」の時制について
「騙されたと思って~」が理解できない人は、この文言の「騙された」の部分の解釈を間違っている可能性が高いと思われます。
「騙されたと思って」は「(今)騙された状態だと思って」という意味ではないんですよね。
例えば、”今”Aさんが騙された状態になるためには、Aさんは自分が騙されているという状態を知らない必要があります。
しかし、「騙されたと思う」のならばその時点で、Aさんは自分が騙されているということを知っている状態になります。
これはつまり、Aさんは騙されていないということになります。
パラドックスみたいですね
人は騙されている時には騙されていることに気づきません。
結果を見て初めて騙されていたと知ることになります。
この文言でいう「騙された」とは今回の例の場合、
(不味そうに見えるけど)美味しいから食べてみてと言われる
→相手を信用して実際に食べてみる
→やっぱり不味かった=騙された!
という、最後の結果の状態のことを指していると思われます。
つまり、「騙された」は過去形の形ですが、食べ物を食べようとするその瞬間を今とした場合、「騙された」という状態は未来のことです。
そういうわけで「騙されたと思う」とは、「未来の騙された自分を想像する」ということになります。
さて、では「未来の騙された自分を想像する」ことによって、目の前の不味そうに見える食べ物を食べる動機が生じ得るのでしょうか?
「騙されたと思う」とどうなるのか?
①未来の、騙された状態の自分を想像します。
②目の前の不味そうな食べ物を見ます。
③食べようと思います。
…いや、思いません。
最悪の結果を想像してみても食べたいとは思いません。
③は「食べよう」ではなく、せいぜい「食べてやってもいいか」でしょう。
「食べてやってもいいか」というのはつまり、目の前の人に騙された状態を想像しても許せるから「食べてやってもいい」ということになります。
つまり、「騙されたと思って~」と言っている人との間に相当な信頼関係が無いとダメということになります。
自分自身は、目の前の食べ物は絶対に不味いだろうと思っているわけです。
その自分の感想を捻じ曲げてまで相手に従い、さらには従った結果が最悪の結果だったとしても許してあげようと思えるほど相手を快く思っている前提が必要です。
逆に、大して信頼関係の無い相手から「騙されたと思って~」と言われた場合「あなたに騙された結果は許容できないので嫌です」と拒否をするのが普通です。
「騙されたと思って」は常に使える言葉ではない
以上のことから、例えば営業などで何らかの商品を客に薦めている場合に「騙されたと思って一度お試しください!」と言うのは明らかにおかしいということになります。
その営業マンと長い間お付き合いがあり、強い信頼関係があるなら別ですが、そういう場合は稀でしょう。
「騙されたと思って~」という言葉を言われた時、あなたは相手の信頼関係の計算を始めなければなりません。
逆に「騙されたと思って~」を言う側の場合、それは完全に言い得であり自分に責任の一切が無い、とてもパワーのある言葉であることがわかります(これは経験的に明らかと思うかも?)。
相手にとって良くない結果になったとしても、「え?騙されても全然良かったんでしょ?問題ないじゃん」というふうに言えます。
「騙されたと思って~」はかなり重い言葉ですが、日常的な場面ではその意味がかなり弱化して「まぁとにかく試しにやってみてよ」みたいな軽い言葉になっています。
しかし、今回「騙されたと思って~」という言葉について考えた結果、「ねぇ、騙されても別にいいじゃん?大したことないよね?よし、じゃあやってみようか」といった高圧的な印象へと変わりました。
ネットで調べに調べた結果、異なる解釈があったりもしたので調べてみると面白いと思います。
ご意見あれば是非コメントなどにお願い致します。
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