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大学入試の小説が得意な人は一体何者なのか

国語

私は大学入試の小説問題は最後まで苦手でした。

高校生の頃は参考書などで小説もちゃんと勉強したと思いますが、センター試験本番の小説も全然できなかった記憶があります。

 

センター試験では大問1が論説文で大問2が小説です(3が古文、4が漢文)。

大問2の小説以外は勉強した甲斐があったかなという感じでしたが小説は勉強してもしなくても多分変わらなかったと思いますね。

 

直前期に過去問を解いたりもしていましたが、小説は50点満点中ほとんど30点台前半~半ば。偶に5割を切る惨状。

論説文は間違えてたとしても一問程度だったので小説のできの悪さに嫌気がさしていました。

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いい思い出がない。

 

小説の問題とは何なのか、あれが解けるという人は一体何者なのか。考えてみました。

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小説できない人あるある

まずは小説問題のできない人にありがちなことをあげていこうと思います(半分愚痴)。

・解説を読んでも分からない

そんなことあるかという人もいるかもしれませんがそんなあなたは小説のできる人。

小説ができない人なら共感できるはず。

 

論説文は論理です。

解説を読んでも納得できないという経験は少なくとも私にはありません。

 

しかし、小説の問題で間違えて解説を読んだ時、高確率で納得できない。

「〇〇という部分から△△という心情が読み取れる」とか言われてもそんなのあなた(=解説を書いた人)の主観では?としか言えない。

 

論説文のときのような「なるほど!」という体験がない。

解説を読んでも納得できない場合、それは勉強している意味がほとんど無いことになってしまうので「もう勉強する意味無くないか…」となってしまいがちでした。

・解説にケチをつけ始める

自分の選んだ選択肢が何故駄目なのか解説を読んでもわからないので、自分の選んだ選択肢の正当化を始めることになります笑

解説とソリが合わないと解説それ自体にケチをつけ始めるのです。

 

解説を作っている人は答えを知っているわけですから、その答えに合うようにこじつけて解説を書いているのではないかと疑ってしまうこともしばしば。

 

特に選択肢に対する解説で”〇〇は言い過ぎである。問題文からはそこまで読み取れない”っていうものは本当に腹が立ちました。

 

言い過ぎって度合いじゃないですか。

その度合って数値では表せないものであって、それこそ感覚じゃんって思ってしまいましたね。

・小説のせいで国語の点数が安定しない

これは精神的にかなりきつい。

センター試験の国語の話ですが、平気で一問7点とか8点とかあります。

 

小説が自分の感覚と合わなかったら2,3問落とすことになるので、小説だけで国語の得点9割未満が確定することがあります。

 

京大現代文対策の記事で”論説文において感覚で解くことを排すべし”みたいなことを書きましたが、小説に関してはもう完全に感覚だよりでした。

正答率若干UP法

センター国語の小説は時間をかけても自信をもって答えることはできなかったので、解く順番としては小説を一番最後にまわし、時間が無かったら直感で選択肢を選ぶかもしくは適当にマークしてました。

 

しかしこの直感で選ぶというのが私の中では1つの解答法になっていました。

論説文ではそんなことは絶対にしてはいけません。

しかし小説に関してはなんだか考えれば考えるほど「この選択肢でもよくないか…」と思えるような選択肢がでてきていたので諦めて直感でパパッと決めてました。

 

どうせ時間があっても自信をもって答えられない。

そんなんだったら時間ももったいないし…ということで直感を信じることにしたのです。

 

問題文の傍線が引かれている部分の少し先まで読んだら選択肢を見て、少しでも引っかかりを覚えたら斜線をひいて選択肢を消すという消去法をしていました。

 

この方法だと少なくとも5割はあまり切らなくなったかなーという程度に得点率がUPした気がします。

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レベルの低い話で申し訳ない…

 

 

まぁこの方法をとってもセンター小説で満点というのはまず無理でしたけどね。

というかなんならセンター小説の過去問で満点をとれたのは一回しかない気がします(多分偶然)。

小さい頃からの読書経験?

小さい頃に小説ばかり読んでいる人は小説ができるようになるのか。私、気になります。

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私自身小説は小さい頃に全く読んでいなかった訳ではないですが、熱心に読んでいたわけでもなかったです。

実際、小さい頃から読書を続けてきた人に国語が得意な人は多いと感じます。

 

とは言っても高校時代に、本嫌いかつ国語は全く勉強していないけれど「センター小説なんて間違えなくない?笑」みたいなことを言う人は存在してたんですよね…

 

あのような人の存在を心から羨ましく思っていました。

 

私は今では、あの小説問題が解ける人というのは登場人物の心理がよく理解できるというだけでなく、現実世界でもそれなりに他者への理解力が高い人なんだろうなと結論づけています。

人の気持ちを理解する

”小説も論説文と同じように、問題文に書いてあることだけから読み取れ”ということを何回か聞いたことがありますがあれ本当ですかね??

 

読み取れとはいっても論理をそのままくみ取るのと、登場人物の心情をくみ取るのは割と違う種のものだと思ってしまいます。

明らかに心情を”推測”しなければならない問題はあります。

 

結局、小説問題とか人の気持ちに対する理解力の問題なのではないかと思ってしまいます。

あまり言いたくはありませんがこれは私がASD(昔の区分でいうアスペが含まれるもの)という発達障害を持っているから小説ができないのでは?と思ってますね。

 

人の気持ちが本当に分かりません。

以前「一緒にいると傷つく」と言われて恋人に振られたことがありますが、自分では傷つけるような言葉を言った記憶が全くないんですよね…

 

でも確かに、だいたい人と知り合っても勝手に向こうから離れていくし私自身に問題があるのは確実なのでしょう。

 

私のような人は少なくは無いはずです。

そういう人は潔く小説は諦めて、他のことに勉強時間を費やしたほうがいいかもですね…

大学入試で小説を出題するということ

そもそも小説って人それぞれ感じ方が違うわけじゃないですか?

この登場人物はこういう気持ちだったんじゃないかとか、そういうことを人と話し合ったりするのはとても楽しいものですし私も好きです。

 

でもそんな人によって感じ方が違うものに対して「これが正解」って1つに定めてしまうのはどうかと思いますし、それを入試問題に使うということにかなり違和感を感じてしまいますね。

 

以上、小説が苦手だった人間の愚痴でした。

コメント

  1. 名無し より:

    高校時代に小説の勉強をしてる時に感じたモヤモヤを、スッキリわかりやすく説明してくれる記事で、僕自身もとてもスッキリしました。ありがとうございます。

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