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【親ガチャ】京大生だけど受験はほぼ親と才能で決まると思う。努力万能論は幻想。

教育全般

挑戦的?なタイトルかもしれませんが、努力を全否定したいわけではないです。

そこだけ注意していただいた上で最後までお読みたいただけたら嬉しいです。

 

「死ぬ気で頑張れば誰でも東大に入れる」「結果がでないのは努力の方法が間違ってるから」「受験に才能は関係ない」などよく言われることです。

残念なことに特に教育関係の仕事についている人はこのようなことを言う人が多い。

私はこれに対してとても、とても違和感を覚えるのです。

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子供が勉強できないのはどう考えても親のせい

親御さんに質問します。

「お子さんの脳は誰から形成されたものですか?」

「お子さんが自立するまでの環境は誰が用意したものですか?」

多くの場合、これらの質問への回答は”親”となります。

 

「なぜうちの子供は成績が悪いのか?」

↑そりゃもともと子供が勉強の喜びを理解できない脳を持って生まれたか、そういうものに対して興味関心を持つような環境を親が用意しなかったからです。

”親ガチャ”は誤った概念ではないのです。

 

これは至極当たり前のことであり、この説明で「あぁ子供が勉強できないのは親のせいだな」と納得できない人がいるのが逆に不思議です。

なぜ”勉強だけ”努力でどうにかなると思うのか

なぜか勉強だけ努力でどうにかなるという風潮を強く感じます。

 

クラスに一人はいましたよね、どうしても逆上がりができない子、どうしても大縄跳びで引っかかってしまう子、絶対かけっこでビリになってしまう子などなど。

 

彼らの運動技能は、地の滲むような努力をすれば少しはマシになるでしょうが、だからといってクラストップレベルで運動できる子になるかといえばそれは厳しいはずです。

いわゆる運動神経が違うという言葉で処理される現象で、運動に関しては割と先天的要素が認められているように見えます。

 

他にわかりやすい例だと身長。

身長がほとんど遺伝で決まるのは周知の事実。

 

20歳前後にして身長が160cmくらいの人に対して、「頑張れば身長180cmになれるよ」というのはもはや慰めともならず皮肉となります。

 

では脳は?

脳は身体とは違うのでしょうか?

 

脳も身体も物理的機構であることに変わりありません

脳だけ先天的な要因が関係ないと思うのは明らかに不自然な考えだと思いませんか?

脳を何か特別なものとして神聖視しているのでしょうか。

遺伝の影響は実際ある

参考書籍

 

遺伝の話も少し。

行動遺伝学のある研究によれば、身長・体重の個人差は9割ほどが遺伝的要因で説明できるそうです。

 

さて勉強に関するものはどうでしょう。

よく賢さの一つの指標として語られるIQは6割ほどが遺伝、1割ほどが家庭内環境によるものとの研究があります。

記憶力は50%以上が遺伝。

 

そしてなんと数学に関しては80%以上が遺伝です。

受験数学は暗記で乗り切れる場面も多いですが、それ以前のレベル(教科書が理解できないレベルの人)でどんなに数学に時間をかけて勉強しても成績が向上しない人はいますよね。

 

例えば京大なら、理系でも文系でも数学ができないと合格はかなり厳しくなります。

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もちろん他科目で圧倒すれば無理ではないですが…

 

ここで、遺伝を持ち出すならば環境の要因も考慮しなくてはなりません。

すべてが遺伝で決まるわけでは決してありません。

自ら環境を変えることで精進していくことは可能です。

 

しかし、環境というのは本当に自分で選べるものでしょうか。

 

生まれた場所、親の教育意識、世帯年収などの学生本人にはどうしようもない要素が生まれる以前から存在し、これらの要素により予め環境がある程度規定されます。

 

環境を本当に自分で好き勝手変えるというのは少なくとも今の社会では経済的に自立できた後である場合が多く、それ以前は親の大きな影響下にあります。

高校生の段階で環境を自分の思った通りに変えるというのは限界があるのです。

 

そういうわけで、今ある環境で精一杯努力するというのが重要になります。

 

さて、ここで努力という言葉がでてきました。

努力論者は成功しない者に対して、「環境の制限があるのは事実だけど、その中で精一杯の努力をしてこなかったお前が悪い!」ということをきっと言うのでしょう。

 

しかし私は声を大にして言いたい。努力は間違いなく才能の1つだと。

努力は間違いなく才能の1つ

努力論者が見落としているのは、努力に向かえる精神とその努力の成果によって脳で得られる報酬量は人によって違うということです。

 

結局脳の報酬系の問題です。

同じ課題に向かい、同じように課題をこなしたとしても、脳の報酬系の活性は人によって違うはずです。

 

あるゲームに関して、それをクリアして泣いて喜ぶ人がいる一方で「まぁそこそこ楽しめたかな」で終わる人がいるのと同じ話です。

これは自分ではどうにもできません。

 

努力ができない人間の1サンプルとして自分自身のことを少し書きますが、私は受験勉強においてほんっっっとうに努力できませんでした。

大学を中退した年の受験勉強では、頑張らないと次の年に完全ニートになってしまうという状況だったのにも関わらず最後までほとんど勉強できませんでした。

 

センター試験1ヶ月前まで参考書を開けず、勉強を開始したとしても一日4時間以上勉強できた日は数えるほどしかありませんでした。

 

私がADHDという発達障害持ちだからだという面が大きいと思いますが、私ほど重度ではなくともADHD的特性をもつ人はそこまで珍しくないはずです。

 

そういう人にとっては受験勉強に必要とされるようなコツコツ努力は大敵です。

これを読んでいる人にも私のような人はいると思います。

 

ゲームなどの誘惑に負けるとかではなく、単純に勉強が始められない・勉強を継続できない。

端的に言えば根性がないってことです。

 

ではこの根性に関しては独力でどうにかできますかと私は問いたい。

少なくとも私はどこかに監禁され、常に監視されて勉強を矯正されるような外部的強制力がないと一日何時間も勉強するのは無理です。

 

とりあえず、努力論者は身体的特徴の個人差は認める一方で、脳の報酬システムは均一であるとみなす、とんでもない矛盾を主張していることを自覚してください。

周りの人の話 ~高校編~

タイトルに才能とと書きました。

 

才能(遺伝)の他に、親の影響はとても大きいと思います。

前述の通り、生まれた場所・親の教育意識・世帯年収というのは個人の能力を見るときに絶対に無視できない要素です。

 

私自身も、高校進学・大学進学を契機に、徐々に親・家庭の受験への影響を認識するようになります。

 

私の高校は進学校ではなく、言うなれば典型的な田舎の自称進学校でした。

 

東大・京大合格者はほぼ存在せず、旧帝大・早慶がポツポツって感じでした。

そんな中で旧帝大・早慶に合格した友人達の家庭事情を聞くとやはりそこそこ恵まれている人が多いです。

 

学内の成績上位者のほとんどは塾に通っていました。

私の高校は私立高校だったのでそれに加えて塾に通うとなるとそこそこ家庭に余裕がないと無理だと思います。

 

加えて、難関大に合格している親の学歴・職業とその子供の合格した大学の難易度には相関性がありました。(あくまで相関性の話をしているので例外があるのは私も分かっています)

 

難関大に合格した友人達の親は医者、大学の教授、少なくとも難関大学卒業者という感じでした。

 

「それはお前の高校だけの話だろ」と言われれば、実際反論できないのですが、親の年収と子供の学歴には相関関係があることが分かっていますし、的外れな意見ではないと思います。

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東大生の親の6割ほどで、世帯年収が950万以上というのは有名な話ですね。

周りの人の話 ~大学編~

夜の京都大学クスノキ

まず、地頭の話になりますが京大に入って思ったのは理解力の高い人が多いということ。
(あくまでも私が今までに会ってきた人との相対評価になってしまいますが。)

 

理解力が高いだけでなく理解のスピードも早い。

ほとんど皆同じスタートであるはずのプログラミングの授業の時と二外の授業のときにそれを特に感じました。

 

また、私は早稲田大学と京都大学に在籍経験がありますが、その両大学においても塾に行ってない人は少ないということ。

皆どこかしらの予備校・塾に通って対策をしています。

塾に行ってないと言うと少し驚かれることがあるレベルです。それくらい塾に行くのが当たり前な世界です。

 

家庭が貧困であれば塾には通えません。

 

塾に通わないと難関大に合格できないというわけでは決してありませんが、たいていの人にとっては受験計画を自分でたてて自分で全てやるのは簡単なことではないでしょう。

 

他にも例えば、日本最難関である東大の高校別合格者数ランキングを見てみると、上位のほとんどは中高一貫の有名私立高校です。

 

中学受験というのは基本的に親ゲーです。小学生が急に「中学受験したい!」というわけがありません。

 

以上のことから、自分ではどうにもできない要因である”家庭の経済事情&親の教育意識”の影響は無視できない要素だと思います。

受験も結局はほぼほぼ親ガチャです。

努力万能論は能力のない人を苦しめている

努力万能論は非常に危険な思想だと思います。

どんなに頑張っても勉強ができない人に対して「お前は努力が足りていない」というのはその人を追い詰めることになります。

 

なぜなら、成功するまで永遠に「成功していないのは努力が足りていないからだ」と言えるからです。

 

個人の能力を無視してなんでも努力に還元するのはその人の自己肯定感を下げることになります。

 

これは完全に私個人の意見ですが、勉強をそこそこ頑張った上で(具体的には偏差値50後半くらい?(適当))、大して勉強を面白いと思えなかったらそこまで勉強を頑張る必要はないと思います。

どうしても入りたい大学があるとかなら自分を律して頑張るしかありませんが、そうでないならそんなに無理しなくていいのでは、と。

 

というか勉強にあてている辛い時間を他のことにあてたほうがいいと思います。

受験は本当に視野が狭くなります。勉強に固執する必要があるかというのは考える価値があります。

では最初から努力を諦める?

かなり好き勝手言いました。

 

ただ一番最初にも書きましたが、努力は無意味だとは言いません。

なぜなら自分の才能などは自分も、他人も明確にはわからないからです。

 

〇〇は△%遺伝というのは結果から分かっていることで、それをそのまま今の自分にあてはめることはできません。

 

とりあえずやってみなきゃわからない。

努力の才能が無かったら無いなりにできる範囲のことだけやってみる。

そうして初めて限界が分かる。

 

誰もが自分にはこの分野の才能はないんじゃないかと不安になりながら頑張らなければならないのです(だからこそ面白いという意見もあると思いますが…)。

 

結局、私が言いたいのは自分を追い詰めすぎずに適当に頑張るべしということです。

たとえ身を削って頑張って結果がでなくてもそこまで落胆することはない。

 

私ははじめから自分でどうにかできることは多くはないと思って生きています。

コメント

  1. やなぎ より:

    100%同意するし、全国の教育関係者にこの記事見てほしいわ…

  2. はあああああ より:

    本当に共感
    努力だけで埋まらない生まれた瞬間にできてる差は一生埋まらん
    頭の良い人ほど努力どうたらこうたら言ってるけどさあ
    あんたらなんでそんな授業一回聞いただけで全部完璧にこなせるの?
    その時点で差が出来てる
    凡人はあんたらには追いつけねえんだよ
    いちいち努力努力って言うな
    こっちの立場になって考えろ

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