YouTube始めました。(クリックorタップ)

京大生だけど受験はほとんど親と才能で決まると思う。努力万能論は幻想。

教育全般

挑戦的?なタイトルかもしれませんね。

取り敢えず先に言っておきたいのですが、努力を全否定したいわけではないです。

そこだけ注意していただいた上で最後までお読みたいただけたら嬉しいです。

 

さて、「死ぬ気で頑張れば誰でも東大に入れる」「結果がでないのは努力の方法が間違ってるから」「受験に才能は関係ない」などよく言われることです。

残念なことに特に教育関係の仕事についている人はこのようなことを言う人が多い。

i
i

私の高校の先生はほとんど全員そのタイプの人間でした…

 

また、ネット上でもそういう意見を持っている人があまりにも多くて本当に驚きます。

 

私はこれに対してとても、とても違和感を覚えるのです。

スポンサーリンク

なぜ”勉強だけ”努力でどうにかなると思うのか

なぜか勉強だけ努力でどうにかなるという風潮を強く感じます。

 

ピアニストだったら耳が良い(音感が良い)だとか、手の大きさ・構造上の要素などは素質として大いに関係あるでしょう。

アスリートなら圧倒的運動神経がまず必要。

 

どちらにせよ先天的な要因が大きいです。

 

他にわかりやすい例だと身長。

身長がほとんど遺伝で決まるのは周知の事実。

 

(これは友人の例えですが)20歳前後にして身長が160cmくらいの人に対して、「頑張れば身長180cmになれるよ」というのはもはや慰めともならず皮肉となります。

 

脳だけ先天的な要因が小さいと思うのは明らかに不自然な考えです。

まぁそれでも勉強だけは別!と思う方には研究結果を見ていただきたい。

遺伝の影響は実際ある

参考書籍

行動遺伝学のある研究によれば、身長・体重は9割ほどが遺伝的要因で説明できるそうです。

 

さて勉強に関するものはどうでしょう。

よく賢さの一つの指標として語られるIQは6割ほどが遺伝、1割ほどが家庭内環境によるものとの研究があります。

記憶力は50%以上が遺伝。

 

そしてなんと数学に関しては80%以上が遺伝です。

受験数学は暗記で乗り切れる場面も多いですが、それ以前のレベル(教科書が理解できないレベルの人)でどんなに数学に時間をかけて勉強しても成績が向上しない人はいますよね。

 

例えば京大なら、理系でも文系でも数学ができないと合格はかなり厳しくなります。

i
i

もちろん他科目で圧倒すれば無理ではないですが…

 

ここで、遺伝を持ち出すならば環境の要因も考慮しなくてはなりません。

すべてが遺伝で決まるわけでは決してありません。

自ら環境を変えることで精進していくことは可能です。

 

しかし、環境というのは本当に自分で選べるものでしょうか。

 

生まれた場所、親の教育意識、世帯年収などの学生本人にはどうしようもない要素が生まれる以前から存在し、これらの要素が環境規定要因となることで予め環境の選択肢が狭められます。

その限られた選択肢の中から環境を”自由に”選択したとすると、果たしてそれは本当の意味での自由な選択でしょうか?

 

環境を本当に自分で好き勝手変えるというのは少なくとも今の社会では経済的に自立できた後である場合が多いです。

高校生の段階で環境を自分の思った通りに変えるというのは限界があります。

 

そういうわけで今ある環境で精一杯努力する環境というのが重要なのです。

 

そしてこれらのことから「努力しないのは甘え」という考えがでてきてるのだと思います。

しかし私は声を大にして言いたい。努力は間違いなく才能の1つだと。

スポンサーリンク

努力は間違いなく才能の1つ

才能(遺伝)が学業に大きく関係していることは事実であると。

 

では努力はどうなのかというとこれも自分ではどうにかできない部分がかなりあると思います。

 

私の話で恐縮ですが、努力のできない人間の1サンプルとして少し自分のことを書かせてください。

 

私は受験勉強ではほんっっっとうに努力できませんでした。

たいして努力してないのに難関大に合格できた!と自慢したいわけでは全く無いです。

私は本当に心から全力で努力したかった。もっと努力できれば成績がもっと上がると分かっているのにできなかった。本当に辛かったです。

 

大学を退学した年の受験勉強では、頑張らないと次の年に完全ニートになってしまうという状況だったのにも関わらず最後までほとんど勉強できませんでした。

 

センター試験1ヶ月前まで参考書を開けず、勉強を開始したとしても一日4時間以上勉強できた日は数えるほどしかありませんでした。

 

私がADHDという発達障害持ちだからだという面が大きいと思いますが、私ほど重度ではなくともADHD的特性をもつ人はそこまで珍しくないはずです。たくさんいます。

 

そういう人にとっては受験勉強に必要とされるようなコツコツ努力は大敵です。

これを読んでいる人にも私のような人はいると思います。

 

ゲームなどの誘惑に負けるとかではなく単純に勉強が始められない・勉強を継続できない。

端的に言えば根性がないってことです。

 

ではこの根性に関しては独力でどうにかできますかと私は問いたい。

少なくとも私はどこかに監禁され、常に監視されて勉強を矯正されるような外部的強制力がないと一日何時間も勉強するのは無理です。

 

また、上記のことを抜きにしたとしても、はっきりいってここまで人間の身体的特徴が違うのに、皆が同じことに対して同じようなやる気を出すことができる(脳の報酬システムが均一である)と思っている人が多数派なのが理解できません。

 

脳も身体も物理的機構であることに変わりはないはずなのですが、多くの人は脳をなにか特別な次元のものとして見ているのでしょうか?

スポンサーリンク

周りの人の話 ~高校編~

タイトルに才能とと書きました。

 

才能(遺伝)の他に、親の影響はとても大きいと思います。

先述の通り、生まれた場所、親の教育意識、世帯年収というのは個人の能力を見るときに絶対に無視できない要素です。

 

私自身も、高校進学・大学進学を契機に、徐々に親・家庭の受験への影響を認識するようになります。

 

私の高校は進学校ではなく、言うなれば典型的な田舎の自称進学校でした。

 

東大・京大合格者はほぼ存在せず、旧帝大・早慶がポツポツって感じでした。

そんな中で旧帝大・早慶に合格した友人達の家庭事情を聞くとやはりそこそこ恵まれている人が多いです。

 

学内の成績上位者のほとんどは塾に通っていました。

私の高校は私立高校だったのでそれに加えて塾に通うとなるとそこそこ家庭に余裕がないと無理だと思います。

 

加えて、難関大に合格している親の学歴・職業とその子供の合格した大学の難易度には相関性がありました。(あくまで相関性の話をしているので例外があるのは私も分かっています)

 

難関大に合格した友人達の親は医者、大学の教授、少なくとも難関大学卒業者という感じでした。

 

「それはお前の高校だけの話だろ」と言われれば、実際反論できないのですが、親の年収と子供の学歴には相関関係があることが分かっていますし、的外れな意見ではないと思います。

i
i

東大生の親の6割ほどで、世帯年収が950万以上というのは有名な話ですね。

スポンサーリンク

周りの人の話 ~大学編~

夜の京都大学クスノキ

まず、地頭の話になりますが大学に入って思ったのは理解力の高い人が多いということ。
(あくまでも私が今までに会ってきた人との相対評価になってしまいますが。)

 

理解力が高いだけでなく理解のスピードも早い。

ほとんど皆同じスタートであるはずのプログラミングの授業の時と二外の授業のときにそれを感じました。

 

また、私は早稲田大学と京都大学に在籍経験がありますが、その両大学においても塾に行ってない人は少ないということ。

皆どこかしらの予備校・塾に通って対策をしています。

塾に行ってないと言うと驚かれることがあるレベルです。それくらい塾に行くのが当たり前な世界です。

 

家庭が貧困であれば塾には通えません。

 

塾に通わないと難関大に合格できないというわけでは決してありませんが、たいていの人にとっては受験計画を自分でたてて自分で全てやるのは簡単なことではないでしょう。

 

他にも例えば、日本最難関である東大の高校別合格者数ランキングを見てみると、上位のほとんどは中高一貫の有名私立高校です。

 

中学受験というのは基本的に親ゲーです。小学生が急に「中学受験したい!」というわけがありません。

 

以上のことから自分ではどうにもできない要因である”家庭の経済事情&親の教育意識”の影響は無視できない要素だと思います。

 

受験も結局はほぼほぼ親ガチャなのです。

努力万能論は能力のない人を苦しめている

努力万能論は非常に危険な思想だと思います。

どんなに頑張っても勉強ができない人に対して、「お前は努力が足りてないから勉強ができないんだ」というのはその人を追い詰めることになると思います。

 

その個人の能力を無視してなんでも努力に還元するのはその人の自己肯定感を下げることになります。

 

これは完全に私個人の意見ですが、正直なところ勉強をそこそこ頑張った上で(具体的には偏差値50後半くらい?(適当))、対して勉強を面白いと思えなかったらそこまで勉強を頑張る必要はないと思います。

 

どうしても入りたい大学があるとかなら自分を律して頑張るしかありませんが、そうでないならそんなに無理しなくていいのでは、と。

 

というか勉強にあてている辛い時間を他のことにあてたほうがいいと思います。

受験は本当に視野が狭くなります。勉強に固執する必要があるかというのは考える価値があります。

スポンサーリンク

では最初から努力を諦める?

かなり好き勝手言ってきました。

ここまで読んでくださっている方ですごいイライラしている人も多いと思います笑

 

でも一番最初に書きましたが、努力を否定する、もっと言えば努力は無意味だとは言いません。

なぜなら自分の才能などは自分も、他人も明確にはわからないからです。

 

〇〇は△%遺伝というのは結果から分かっていることで、それをそのまま今の自分にあてはめることはできません。

 

とりあえずやってみなきゃわからない。

努力の才能が無かったら無いなりにできる範囲のことだけやってみる。

そうして初めて限界が分かる。

 

誰もが自分にはこの分野の才能はないんじゃないかと不安になりながら頑張らなければならないのです。だからこそ面白いという意見もあると思いますが…

 

結局、私が言いたいのは自分を追い詰めすぎずに適当に頑張るべしということです。

たとえ身を削って頑張って結果がでなくてもそこまで落胆することはない。

 

私ははじめから自分でどうにかできることは多くはないと思って生きてます。

コメント

  1. やなぎ より:

    100%同意するし、全国の教育関係者にこの記事見てほしいわ…

タイトルとURLをコピーしました