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京大生だけど受験はほとんど親と才能で決まると思う。努力万能論は幻想。

大学受験

挑戦的なタイトル?かもしれませんね。

取り敢えず先に言っておきたいのですが、努力を否定したいわけではないです。

そこだけ注意していただいて最後までお読みたいただけたら嬉しいです。

 

さて、「死ぬ気で頑張れば誰でも東大に入れる」「結果がでないのは努力の方法が間違ってるから」「受験に才能は関係ない」などよく言われることです。

残念なことに特に教育関係の仕事についている人はこのようなことを言う人が多い。

悠

私の高校の先生はほとんど全員そのタイプの人間でした…

 

また、ネット上でもそういう意見を持っている人があまりにも多くて本当に驚きます。

 

私はこれに対してとても、とても違和感を覚えるのです。

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なぜ”勉強だけ”努力でどうにかなると思うのか

なぜか勉強だけ努力でどうにかなるという風潮を強く感じます。

 

ピアニストだったらまず耳が良くなきゃ(音感がなきゃ)ダメ。

アスリートなら圧倒的運動神経がまず必要。

 

どちらも先天的な要因が大きいです。

 

他にわかりやすい例だと身長。

身長がほとんど遺伝なのは周知の事実。

 

(これは私の友人の例えですが)20歳前後で身長が160cmくらいの人に対して、「頑張れば身長180cmになれるよ」というのはもはや慰めともならず皮肉となります。

 

脳だけ先天的な要因が小さいと思うのは明らかに不自然な考えです。

まぁそれでも勉強だけは別!と思う方には研究結果を見ていただきたい。

遺伝の影響は実際ある

身長・体重は9割ほどが遺伝的要因で説明できます。

 

さて勉強に関するものはどうでしょう。

よく賢さの一つの指標として語られるIQは6割ほどが遺伝、1割ほどが家庭内環境によるものとの研究があります。

記憶力は50%以上が遺伝。

 

そしてなんと数学に関しては80%以上が遺伝です。

受験数学は暗記で乗り切れる場面も多いですが、それ以前のレベル(教科書が理解できないレベルの人)でどんなに数学に時間をかけて勉強しても成績が向上しない人はいますよね。

 

 

例えば京大なら、理系でも文系でも数学ができないと合格はかなり厳しくなります。

 

悠

もちろん他科目で圧倒すれば無理ではないですが…

これが現実です。努力による能力向上は割とすぐに限界がくるのです。

 

これに加えて私は、努力も間違いなく才能だと実感しています。

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努力は間違いなく才能の一つ

才能(遺伝)が学業に大きく関係していることは事実であると。

 

では努力はどうなのかというとこれも自分ではどうにかできない部分がかなりあると思います。

 

私の話になってしまいますが、少しだけお付き合いください。

私は受験勉強ではほんっっっとうに努力できませんでした。

 

たいして努力してないのに難関大に合格できた!と自慢したいわけでは全く無いです。

私は本当に心から全力で努力したかった。もっと努力できれば成績がもっと上がると分かっているのにできない。本当に辛かったです。

 

大学を退学した年では、その年に頑張らないと次の年に完全ニートになってしまうという状況だったのにも関わらず最後までほとんど勉強できませんでした。

 

その次の受験のときは(うつ病で普通の生活すらままならなかったのもありますが)、センター試験1ヶ月前まで参考書を開けず、勉強を開始したとしても一日4時間以上勉強できた日は数えるほどしかありませんでした。

 

私がADHDという発達障害だからだという面が大きいと思いますが、私ほど重度ではなくともADHD的特性をもつ人はそこまで珍しくないです。たくさんいます。

 

そういう人にとっては努力はとても苦痛なものとなります。

これを読んでいる人でも私のような人はいると思います。

ゲームなどの誘惑に負けるとかではなく単純に勉強が始められない・勉強を継続できない。

端的に言えば根性がないってことです。

 

ではこの根性に関しては独力でどうにかできますかと私は問いたい。

少なくとも私はどこかに監禁され、常に監視されて勉強を矯正されるような外部的強制力がないと一日何時間も勉強するのは無理です。

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周りの人の話 ~高校編~

タイトルに才能とと書きました。

 

才能(遺伝)の他に、親の影響はとても大きいと思います。

まずは高校時代の話をします。

 

私の高校は進学校ではなく、言うなれば典型的な田舎の自称進学校でした。

 

東大京大合格者はほぼ存在せず、旧帝大・早慶がポツポツって感じでした。

旧帝大・早慶に合格した友人達の家庭事情を聞くとやはりそこそこ恵まれている人が多いです。

 

学内の成績上位者のほとんどは塾に通っていました。

私の高校は私立高校だったのでそれに加えて塾に通うとなるとそこそこ家庭に余裕がないと無理だと思います。

 

加えて、難関大に合格している親の学歴・職業とその子供の合格した大学の難易度には相関性がありました。(あくまで相関性の話をしているので例外があるのは私も分かっています)

 

難関大に合格した友人達の親は医者、大学の教授、難関大学卒業者という感じでした。

 

「それはお前の高校だけの話かもしれないだろ」と言われれば、実際反論できないのですが、親の年収と子供の学歴には相関関係があることが分かっていますしそこまで的外れな意見ではないと思います。

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周りの人の話 ~大学編~

夜の京都大学クスノキ

まず地頭の話になりますが大学に入って思ったのは理解力の高い人が多いということ。
(あくまでも私が今までに会ってきた人との相対評価になってしまいますが。)

 

理解力が高いだけでなく理解のスピードも早い。

ほとんど皆同じスタートであるはずのプログラミングの授業の時と二外の授業のときにそれを感じました。

 

一方で受験そのものに関して言えば、早稲田大学でも京都大学でも塾に行ってない人はかなりレアだということ。

皆どこかしらの予備校・塾に通って対策をしています。

塾に行ってないと言うと驚かれることがあるレベルです。それくらい塾に行くのが当たり前な世界です。

 

前述の通り家庭が貧困であれば塾には通えません。

 

塾に通わないと難関大に合格できないとは言えませんが、たいていの人にとっては受験計画を自分でたてて自分で全部やるのは簡単なことではないでしょう。

 

他にも例えば、日本最難関である東大の高校別合格者数ランキングを見てみると、上位のほとんどは中高一貫の有名私立高校です。

 

中学受験というのは基本的に親ゲーです。小学生が急に「中学受験したい!」というわけがありません。

 

以上のことから自分ではどうにもできない要因である”家庭の経済事情&親の教育意識”の影響は無視できない要素だと思います。

努力万能論は能力のない人を苦しめている

努力万能論は非常に危険な思想だと思います。

どんなに頑張っても勉強ができない人に対して、「お前は努力が足りてないから勉強ができないんだ」というのはその人を追い詰めることになると思います。

 

その個人の能力を無視してなんでも努力に還元するのはその人の自己肯定感を下げることになります。

 

これは完全に私個人の意見ですが、正直なところ勉強をそこそこ頑張った上で(具体的には偏差値50後半くらい?(適当))、対して勉強を面白いと思えなかったらそこまで勉強を頑張る必要はないと思います。

 

どうしても入りたい大学があるとかなら自分を律して頑張るしかありませんが、そうでないならそんなに無理しなくていいのでは、と。

 

というか勉強にあてている辛い時間を他のことにあてたほうがいいと思います。

受験は本当に視野が狭くなります。勉強に固執する必要があるかというのは考える価値があります。

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では努力に意味はないのか

かなり好き勝手言ってきました。

ここまで読んでくださっている方ですごいイライラしている人も多いと思います笑

 

でも一番最初に書きましたが、努力を否定する、もっと言えば努力は無意味だとは言いません。

なぜなら自分の才能などは自分も、他人も明確にはわからないからです。

 

〇〇は△%遺伝というのは結果から分かっていることで、それをそのまま今の自分にあてはめることはできません。

 

とりあえず努力してみなきゃわからない。

個人的にはこのことこそが才能・親の影響よりも残酷なことだと思います。

 

誰もが自分にはこの分野の才能はないんじゃないかと不安になりながら頑張らなければならないのです。だからこそ面白いという意見もあると思いますが…

 

結局、私が言いたいのは自分を追い詰めすぎずに適当に頑張るべしということです。

たとえ身を削って頑張って結果がでなくてもそこまで落胆することはない。

 

私ははじめから自分でどうにかできることは多くはないと思って生きてます。

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