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勉強したくないのならしなくて良いと真面目に思う理由

大学受験

私は、勉強したくないならしなきゃいいと本気で思っています。



投げやりな意味ではないですよ?

真面目に考えた上での意見です。



まぁ勉強系の記事を書いている人で勉強しなくてもいいという人はほぼいないでしょうね笑


勉強したくない、という発言に対して返ってくる言葉として


「世の中には勉強したくてもできない人がいる。勉強できることの幸せに気づけ。」などと言う大人がたくさんいます。


きっとあなたの周りでも1人はいるでしょう。




正直こんな意見を言われたところで「そんなの知らんよ…」という方が大半だと思います。


境遇が大きく違う人の例を持ってこられても、それに共感するのはほぼ無理です。




勉強を本当にしたくない、できないのならその道は避けてしまっても構わないと思います。

今回は勉強なんてしたくない!勉強なんて大嫌いだ!という人へのメッセージ。

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どうしても勉強ができない人はいる

受験界で受験は努力でどうにでもなる、才能は関係ないという風潮がありますね。


これ私がだいっっっっっきらいな風潮です。


受験に才能は関係あります。



勿論努力したら確実に成績はあがりますよ?
なので勉強は意味がないなんて言いません。無理しない程度に頑張りましょう。




しかし限界は間違いなくあります。

誰しもが全力で努力すれば東大も夢じゃないなんていうのは嘘っぱちです。



例えば数学の能力なんかは8割以上を遺伝的要因で説明できます。



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スポーツは遺伝の影響が大きいというのは、殆どの人が認めている事実です。




しかし勉強になった途端に、努力しろ努力が足りない根性でどうにでもなる!

となる人があまりにも多すぎる。

悠

そもそも努力も才能の一つでしょうに…





本当に努力できない人はいます。



現に私がそうです。勉強していない自慢とかではないです。




本当にこれで数年悩みました。



自分だって本気で努力したいのになんでこんなに頑張れないんだろう、なんで何も続けられないんだろうと思い悩み、自分が大嫌いになりました。


努力できる人が本当に羨ましかった。





受験勉強なんか本当に地獄でした。頑張ろうと思ってもどうしても頑張れない。


一日4時間以上勉強できたことはほぼ無いと思います。


(そのかわり?スイッチが入った時の集中力が人並み以上あるのかなと思ったりしています。)



そういう脳の特性の人は間違いなくいるはずなのです。




そんな人達を、努力が足りないという言葉で一蹴するのはあまりにも酷です。





どうしても勉強が無理なら、勉強を諦めてもいいじゃない。



無理に勉強に固執して、自分の出来なさに落ち込み自己肯定感が下がるのは最悪のパターンです。




自分の得意とする分野をみつけてそれに思い込み打ち込みましょうよ。
それが勉強である必要なんてどこにもないのですから。

勉強は”特技”のひとつのはず

学校だと勉強ができる人はすごい!ってなりますよね。



スポーツができる人もすごい!ってなりますけど、勉強の方がその賞美度は大きいと思います。




正直、勉強ができることってサッカーが得意とかゲームが得意とかと変わらないです。
特技の一つなのです。



ではなぜ勉強ができる人が一番称賛を受けるのか。


答えは簡単。それは学生の全員が勉強をしている(とみなされている)からです。




どういうことなのか説明します。





例えばサッカーという競技はみんながやっているわけではないですよね?



スーパープレイヤーに対して多大な賞賛を与えるのは主にサッカー経験者となります。




「自分にはあのドリブルはできない。あんなシュートは打てない。」というふうに自分の実力と比べることで凄さを具体的に感じることができます。



勿論サッカーに興味のない人でもすごいなとは思います。


しかし「よく分からんけどドリブルは早いしシュートも強いなー」くらいです。



何となく凄いことは分かっても、具体的にその凄さがどんなものなのかがわからないのです。






して勉強はどうでしょう。勉強は学生全員が参加する競技です。


自分は勉強全くしてないよという方、あなたもしっかり参加していますよ。





例えば定期テスト。これは全員が強制的に参加させられる競技種目です。



自分も競技に参加させられ、点数をつけられれば勉強できる人との差が明確になります。




その具体的な差をみて、「自分より△点も高い。自分が解けなかったこの問題解けてるんだ。すごいなあ」と思うのです。

 

らに強くそれを思わせる要因の一つが学校というシステム。



学校では勉強できない人は基本的に劣等生扱いです。

学校は勉強する場所とされているからですね。



”成績の良さ”という尺度で教師や同級生から日々測られているのです。

これにより、勉強できる人との差をこれでもかと見せつけられることになるのです。



それ以外の尺度もあるはずなのに、たまたま学校側の尺度において劣っているだけで劣等生扱いされます。



本来その尺度は個々人が自分の意思で自由に使えば良いもののはずです。

それを学校は無理やり生徒に当てはめて順位をつけているのです。



勉強を頑張ってもどうしてもできない人、もしかしたらそれはあなたの特技にはならないかもしれない。


ですが自分と向き合って別の特技を見つければいいのです。



世の中勉強だけじゃないという割には、勉強ができるかの尺度ばかり押し付けてくるんですよね。

何も学校の尺度にずっと付き合ってあげる必要はありません。


才能という言葉は嫌いですか?

才能って特別な感じがありますよね。

それと同時に妬みの対象にもなることがあります。



「私は〇〇の才能があります」というと顰蹙を買うことでしょう。





しかし私はこのような発言に対して不快感は全く感じません。

寧ろ自分の才能を自覚して存分にその能力を発揮できているんだな、と感心さえします。





恐らく才能という言葉のもつ”特別さ”が顰蹙を買う原因なのだと思います。


そこで才能では無く”適性”という言葉ならどうでしょう?


数学に適性がある、音楽に適性がある…といえば少しニュアンスが柔らかく感じられますか?


私は才能=適性と捉えています。


勉強に適性が無かったら、必ず他にあなたの適性に合致する何かがあるはずです。




無論、最初から勉強を放棄するのは良くないです。




少しだけ頑張って勉強にチャレンジすることで、
意外と勉強ができることに気づけることもあるでしょう。




しかし勉強で高みを目指す場合(特に大学受験はそう)、どうしてもできないと感じることがあると思います。





そんな時に自分に絶望しないでいただきたい。

将来困らない程度に勉強はやっておけばいいです。




それよりも自分の適性を知ることの方が重要です。




どうしても学生は勉強という土俵で戦わされて視野が狭くなりますが、

周りを見渡せば違う土俵がいくつもあります。



別の土俵にぴょんと飛び移るという選択肢があることを忘れないでくださいね。



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