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田舎がどれだけ受験で不利かについて田舎出身者が語る

教育全般

私は田舎出身です。

ビルなんてものは1つも無く、田んぼや畑が広がる場所で育ちました。

キジとかウサギとか家の近くにいました。

 

バスは1、2時間に一本来るものというのが常識。

電車の最寄り駅も遠く、やっと駅についたと思っても1本逃したら次の電車は20~30分後。

食料品を買うにも、車で数十分走らせてスーパーにいかなければならないようなところです。

 

私はかつて大学進学のために上京を経験し、地方と東京の様々な格差というものを目の当たりにしました。

 

その格差としては上に書いたようなインフラ的問題もあげられますが、勉強、そして受験における格差もとんでもなく大きいと感じたのです。

今回は田舎の受験事情ということについて田舎出身の私が語っていこうと思います。

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中学受験?なにそれ?

まずここからですが、そもそも小学校から勉強するという感覚はとても薄いです。

小学生は基本的に勉強なんてしません。

 

学校から帰ってきたらランドセルを玄関に放り投げて、夕ご飯の時間まで友達と缶蹴りしたりゲームしたりして過ごします。

 

小学6年生になって学年で2人中学受験するらしいという話がでたときは驚きましたね。

なにせ小学校から受験勉強するという考えが根底に無いのですから。

 

私自身、大多数と同じく中学受験しない組だったので、中学受験する人を「小学生のうちから勉強なんて大変だな笑」と可哀想に思っていたくらいです。

 

中学受験とした2人は私立の中学校に入学し、その他全員は地元の公立中学校へと進学しました。

中学受験というのは”異様”なものとして私達の目には映っていたのです。

 

 

時は飛びますが高校卒業後、私は早稲田大学に進学しましたが、そこで中高一貫校出身の生徒のあまりの多さに驚愕しました。

 

早稲田大学は東京・神奈川・千葉・埼玉出身者が学生の7割強を占めます。

都会側の人間は中学受験をするのが当たり前なのか?と大きな隔たりを感じました。

 

勿論、早稲田大学というある程度入試難易度の高い学校だから中高一貫の進学校出身者が多いのかなとも思いました。

 

しかし、どうやら調べてみるとそんなことはなく、なんと東京23区では小学生の4人に1人が中学受験をするらしく、文京区や中央区では受験率は4割弱になります。

これは田舎出身の人間からしたら考えられないことです…

大学進学者が多くない

田舎では周りに大学進学者が全然いません。

勿論時代的なものもあるとは思いますが、都会よりは確実に少ないでしょう。

 

大学進学者がいないということは大学がどんなところかというイメージが入ってこないということです。

大学とはどんな場所なのか、大学に行くとどんなメリットがあるか、そういったことを話してくれる人がほとんどいません。

 

私も高校生の時まで大学のことは全然知りませんでした。

小さい頃に知っていた大学なんて東大と京大くらいだったと思います。

 

また、勉強することによるメリットを享受した人間が極端に少ない環境では勉強の大切さを知る機会がありません。

 

事実、私の父親は「大学なんて行かなくていい」「勉強なんてしてもしょうがない」と言う人でした。

母親は教育熱心な方だったのでまだ助かりましたが、これで母親も父親と同じ考えだったと思うと背筋がゾクッとします。

 

「田舎だろうがネットで大学について調べることはできるだろ」と思う方もいるかもしれません。

しかし大学の話を全くされたことのない人間がネットで大学のことについて自分から調べると思いますか?

 

小さい頃の知識なんてたかが知れています。

大抵は外部からのなんらかの作用がきっかけで物事に興味を持ったりします。

 

大学進学者の多い地域というのはそれだけで大学についての情報が勝手に入ってくる機会が増えます。

この時点ですでに機会格差→情報格差のコンボが確定します。

 

大学について知る手段はあっても、大学について知ろうと思う機会があまりにも少ないのです。

田舎公立中学校の感覚

前述の通り、だいたいの人は地元の公立中学校に進学します。

 

公立中学校というのはかなりカオスな空間です。

生徒自身の学力、親の社会的地位や家庭の経済状況などがバラバラの人たちが1つのクラスに放り込まれます。

 

そして受験の時には親の属性による教育方針がもろに子供に影響します。

教育にお金を投資するという意識が低いです。

 

大学に進学した経験のある親が少ないわけですから、自分の子供を良い高校にいれて良い大学にいれてあげたいという意識がそこまで強くありません。

 

勿論私自身、良い大学に入ることが全てだとは全く思っていません。

ですが教育にお金を投資することで多少は子供の未来の選択肢が広がるのですから、可能性を初めから狭める必要は無いと思います。

 

加えて、自分の子供が有名な大学に入ることができるというルートはおそらく最初から除外されています。

なぜなら(何度も言いますが)、親の中には有名な大学を出た人どころか大学進学者自体が少ないため。

 

例えば旧帝大出身の人なんて高校に行くまで周りで聞いたことがありませんでした。

 

繰り返しますが大学が全てではない。

それでも、親の意識、もっと正確には教育意識によって将来の選択肢が広がっていた可能性の高い人達は少なくなかったと思うのです。

 

小さなコミュニティであらゆることが完結してしまう田舎ではその可能性すらいともたやすく潰されるのであり、それは悲しいことだと私は思います。

田舎の進学校という閉鎖空間での洗脳

田舎の公立中で学年下から4番目という成績を中3の時期に取った我が子に将来の危機を察知したのでしょう、私の親は私のことを塾に放り込みました。

 

そのおかげもあって、数年に一人くらい東大・京大合格者がでるような自称進学校というレベルの高校に入学することができました。

 

進学校を掲げているわけですから、これで都会との受験における格差はかなり小さくなるだろうと思いきや全くそんなことはありません。

 

自称進学校では基本的に地元の国公立大学が過度に持ち上げられます。

進学して喜ばれる順番としては

 

旧帝≧地元国公立>>>>>>>>早慶

って感じでしたね。

 

地元の国公立に受かる力があれば全国どこの私立大学に受かる、としつこく言って生徒を洗脳していました。

生徒の進路なんてどうでもよく、学校の実績が第一なんです。

 

私の高校のOBでそこから地元の国公立に進学した人間が教師の多くに採用されていますから、彼らは自分達の権威を大きくするために地元国公立を過度に持ち上げたのでしょうかね…

 

そして一番驚くのが何と言っても、”予備校・塾に通うのは悪である”というもの。

教師達は、「学校の勉強で十分であり、予備校や塾に通う人は必ず大学受験に失敗するんだぞ」と脅してきます。

 

で、実際大学に進学してみてどうだったかと言えば、早稲田大学でも京都大学でも塾に行っていなかった人を探す方が難しいではありませんか…

 

ちなみにこの予備校・塾は悪であるというありがたい教えは県内トップの高校の教師たちも言っていたそうです…

 

これは完全に田舎の閉鎖性に起因するものだと思います。

受験事情を知らない地方の生徒を自分たちの良いように洗脳しているようにしか見えない。

塾・本屋の充実度の差

さて、いくら学校の先生が塾に行くなと行っても、本気で難関大に行きたい人はそんなの完全に無視してどこかしら塾にいきます。

 

ここでまた格差がでるわけです。

まず私の出身県には駿台も河合塾もありません。

 

受験指導のプロ(あまり健康的な響きではありませんが…)みたいな有名な予備校の先生なんて来ません。

 

参考書を探すにしても本屋の充実度が都会とではまるで違います。
(中心地にでればジュンク堂がありますが…)

 

どの参考書がいいとかも先生は教えてくれません。

とにかく勉強しろというのみ。

 

周りで”難関大合格”の実例があまりにも少なくて大体こういう生徒が毎年受かっているというのが無いのです(これに関しては県TOP高校なら話は違うかも)。

 

学校単位どころか県単位で難関大を目指す生徒が都会よりかなり少ないのです。
互いに高めあえる同士などなかなか巡りあえません。

受験の情報なども勝手には入ってきません。

 

圧倒的に情報獲得の機会が不足しているのです。

残る手段はネットの情報に頼るのみ。

 

こうなると情報リテラシーというまた別の能力が試されることになります。

 

自称進学校に入ろうと、状況はそんなに変わらないわけです。

運悪く(運良く?)難関大を目指そうなどと思ってしまったら大変です。

 

周りの大人も先生も難関大出身の人なんていません。

右も左もわからない状態で全国の猛者達と戦わなければならないのです…

都会の人は想像できないかもしれない

受験とは関係なくなってしまいますが、例えば海外旅行なんて行ったことある人なんて地元にほぼいません。

中学に一人だけ海外に行ったことのある人がいて、その人は”海外に行ったことがある”というステータスを獲得していました。

 

田舎の閉鎖的空間では上京ですらステータスの1つになる場合があるのですから、海外なんていったらそれはたいそう凄いこととして認識されます。

 

また、私は東京にいた頃、上野の美術館に足繁く通っていましたが、地元ではあんなに有名な絵画展があれほど頻繁に開かれることはまずありません。

 

都会と田舎では揃っているものが違いすぎます。

そしてその揃っているものは単純な物質的豊かさの格差を生むだけではないということを知ってほしいと思います。

 

ど田舎出身の人は、やりきれない思いはあるでしょうが、まずは現状やれることをやるしかないのです。

 

ちなみに、受験の地域格差が完全に無くなった場合、それはそれでまた別の問題が発生するとは思っているのですが…長くなったのでその話はまた今度。今回はここまで。

コメント

  1. 匿名 より:

    面白く拝読しました。
    私もド田舎出身で、大学進学を機に上京してきたので頷けることばかりです。
    私が高校生の頃はまだネットも普及していなかった時代ですので、それはそれはひどいものでした。
    大人になって自らの選択で田舎に住むのはいいのかもしれないけど、子供時代にあのような場所で過ごすのは(過ごさざるをえないのは)、多くの可能性を犠牲にすることになりますので、考えさせられます。
    今でも思うのは、私は運良く脱出できてよかったなということです…。

  2. 匿名 より:

    私もド田舎出身者で共感することばかりでした。
    そのド田舎では進学校と言われるところに通っていたのですが、それでも大学受験時にはほとんどの教科が授業では教科書の半分さえ終わっていませんでした。周りには塾も予備校もありませんので、大学受験の情報さえ入ってきません。その状況で全国の受験生たちと競争しなければなりません。環境は関係ない、自分から情報を取りに行けばよい、やる気があれば問題ない、という考えははっきり言って甘すぎます。私も運よく田舎は脱出できましたが、犠牲になるのは子供たちなので、両親も状況を正しく把握して対応してあげる必要があると思います。

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