大学受験勉強は実につまらないもので、それに意味を見出だせないという人も多いと思います。
実際大して意味は無いのですが、後から大学受験を振り返ってみて思ったことがいくつかあるので、今回はそれについて書きます。
自分の性質が知れる
受験勉強では、ひたすら自分の弱さと向き合うことになるので色々な発見があります。
その中でも個人的に重要なのが”嫌なものに大して頑張れる耐性が自分にどれだけあるか”を知れるということ。
できるだけ偏差値の高い大学に入るというしょうもない目的のために、嫌々ながらも受験勉強を頑張れる人というのが世の中には沢山います。
そういう人達は、目標のためなら過程がつまらなくても頑張れる人です。
対して、目標があっても過程そのものが楽しくないと頑張れない人もいます。
これを具体例に落とし込むと例えば、お金のためなら嫌な仕事でも出来る人とお金が貰えても仕事そのものが楽しくないと働けない人と構造的には同じです。
もはや受験勉強は社会人適正選別に一役買っているように見えてしまいます。
第一志望合格という目標を立てたのにどうしても頑張れないという人は沢山います。
そういう人たちに対して「モチベが明確でないからだ!」という人もいます。
実際、それは一理ありますが、そもそも受験勉強という過程のつまらなさに耐える適正がないという可能性も高いです。
そういった、自分の耐性の無さを受験勉強で知ることができます。
すごい人間が数値で見える
人は数値に安心し、納得します。
全国模試では、同じテストを受けて同じ基準で採点されて出た結果で順位がつきます。
その順位には文句のつけようがありません。
その絶対的な順位を見て、自分より受験勉強の得意な人間が沢山いることを知ります。
こんな全国レベルで順位付けされる経験なんてこの先ほとんどないはずです。
例えば、あなたの個人的な特技・趣味の全国順位なんてわからないですよね。
もしかしたら、あなたが思っているよりあなたのレベルは高い/低いかもしれませんが、そのことを全国順位で知ることは難しいです。
”受験勉強ができる=賢い”は必ずしも成り立たないと私は思っています。
しかし、少なくとも受験勉強という競技におけるあなたの能力の高さは、客観的指標で明確になります。
「世の中には自分より上/下が沢山いるんだな」ということが数値で分かるので、受験勉強は井の中の蛙が大海を知る貴重な機会となります。
自らゲーミフィケーション
受験勉強では、つまらないものを自分で面白くする能力も鍛えることができます。
例えば、効率的な勉強法を探すということ。
勉強それ自体はつまらなくても、勉強方法を考え、人より楽をして良い成績が取れた場合、それはゲームでいう裏技を発見したかのような感覚になります。
しかも前述のとおり、それが偏差値という数値で反映されるのでなおさら喜びも大きくなります。
無論、裏技を沢山思いついてもコントローラーを握ることさえしなければ結果はでません…
しかし少なくとも、受験勉強以外のあらゆることに対しても「何かもっとうまい方法/楽しい方法があるはずだ」という考え方ができるようになります。
成功体験の獲得
受験勉強で得られるもので一番大きなものは”成功体験”です。
偏差値という指標があるせいで、その体験に勝ち・負けが出ているように思えますが、正直そこらへんはどうでもいいと感じます。
大事なのは、全力で頑張って勉強をした結果、第一志望に合格できたという体験です。
成功体験というのは根拠のない自信を与えてくれます。
「あの時頑張れたんだから今回も頑張れる」「頑張ったらうまくいく」といった気持ちが、行動動機として作用してくれます。
ここで強調しておきたいのが、全力で頑張ったという過程と第一志望に合格したという結果のセットということです。
全力で頑張らずに第一志望に合格することにも意味はあります。
ただ、その後に作用しうる成功体験イベントとしてはあまり意味がないように思います。
私は大学受験から数年経った身ですが、人間どこかのタイミングで一度は、何かを全力で限界まで頑張るという体験が必要だと強く感じています。
受験勉強は、自分の全力を試す機会としては好機なのです。
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