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親ガチャを否定する人は危険思想の持ち主であると自覚したほうがいい

教育全般

「親ガチャ」という言葉をご存知でしょうか。

ご存知無い方もいらっしゃるかもしれませんが、まぁ特に難しい概念では無く、要は「子は親を選べない」という話です。

 

子どもは自分の意思で親を選んで生まれてくるのは不可能なわけで、その運ゲー感をガチャ(若い人はソシャゲガチャがイメージしやすいかも?)に重ねた言葉でしょう。

 

私はこの「親ガチャ」は至極全うな概念であり、当たり前のことすぎて理解を示すのに全く抵抗が無かったのですが、SNSやネットの書き込みなどを見ると「責任転嫁だ」「甘えだ」などという人が意外といて大変驚いています。

今回は主にそういった方たちに向けての記事です。

 

親ガチャを認めないというのは、個人の能力の高低の理由をその個人に100%還元するということであり、これは大変な危険思想であるということを分かって頂きたいです。

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「環境が悪くても成功した人はいる」は反論にはならない

親によって決められた環境を変えることは難しい

親ガチャという言葉に込める内容は様々でしょうが、私はによってある程度決められる「(初期)環境」と親の「遺伝」の影響に自分の意思で介入する余地が無いということで、親ガチャの大体の内容を説明できると思います。

※「初期環境」とは生まれてから青年期くらいまでの生活環境という意味で使っています。

 

まずは環境についてお話します。

子供が(初期)環境を選ぶというのは自明にほぼ不可能ですよね。

親の諸能力はどのくらいで、どのような教育方針をもつ親で、どのような家庭環境で、親の年収はいくらで、生まれた土地の治安・風習は…etc. こういったものは全て子供にはどうすることもできません。

 

このような、子供の力ではどうしようもできない要素にさらされ続けながら子供は大人になっていきます。

また「自分で環境を変える」ということは理論的には可能なのかもしれませんが、大抵の子供は大学生になるくらいまでは大体親のレールに乗るか、もしくはそのレールから外れるとしてもたかがしれている範囲です。

高校生くらいの子が環境を変えたい!といって親元を離れて引っ越して経済的に自立して…というのはかなり難しいです。

 

さて、こういった子供にはどうしようもできない諸環境が子供の能力にどういった影響を与えるでしょうか。

環境が悪くても成功できる!←??

有名な話ですが、親の収入(当然これも子供にはどうしようもできないこと)と子供の学力に相関関係があるという事実が存在します。

 

ネットで調べればいくらでもでてくると思いますが、有名なものを1つ上げると東大生の親の年収のデータ(詳しくはこちら)があります。

要は東大生の親は一般家庭よりお金持ちってことなのですが、確かにお金持ちであれば塾に通わせてあげられたり、勉強に限らずたくさんの経験をさせてあげられ、なにかにチャレンジしたいときにはすぐに金銭的援助が可能となります。

 

また、お金があるというのはそれだけで親や子供の精神的余裕は違うでしょう。

世の中お金がすべてだとは決して思いませんが、お金がないと何をするにも余裕がありません。なにかにチャレンジしようとも思いづらいです。

 

さて、親ガチャ否定派の方もこういったデータには文句のつけようがないと思います(ただのデータであり事実なので)。

問題なのは、こういった家庭や親によって作られる環境差に対して「環境が悪くても成功した人はいるだろ」という反論をする人のなんと多いこと。

こういったことを言って反論した気になっている人は、どうしてそれで反論したことになっていると思えるのか、そっちの方が気になるレベルで不思議です。

 

「環境が悪くても成功した人はいる」というのは事実です。
しかし、親ガチャは遺伝(後述)や環境によってできる差が原因となるディスアドバンテージが確かに存在しうるということに関連した話です。

 

”環境が悪い”というのはその時点で無条件に、”環境が良い”人と比べて不利ということであり、その時点で何らかの目標を達成するにあたって苦労度が異なる傾向にあります。

そういった傾向の話をしているのにも関わらず、小数ケースの事例を持ち出されても「だから何?」となります。

(「朝ごはんは大体パンかご飯だよね~」に対して「は?私はラーメンなんですけど?」って言われても困ります。)

 

勿論、少数ケースの成功者と非成功者が全く同じ脳で全く同じ環境で全く同じように育てられたとしたら文句は言えません。

しかし現実はそうではない。

非成功者とは状況の異なる成功者と、非成功者を同じものさしで測るというのは明らかにおかしいということを認識しましょう。

 

劣悪な環境で育ったにも関わらず成功した者がいるという事実と、その事実が一般に成り立つかということは全く別物です。

 

様々な条件が絡んで成功者は成功者となり得ており、その条件が同じでないのであれば「環境が悪い」という共通項で成功者と非成功者をくくることはできません。

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遺伝の影響が大きすぎる

環境が悪くても成功できる人の存在

環境が悪くても成功する人がいるのはどうしてなのでしょうか。

実際確かにそれは気になるところではありますが、それには個人が元々持っている脳の能力が高かったということが1番最初に思いつくのではないのでしょうか。

そしてその脳というのは親から授かったものであり、これも当然ながら子供にはどうすることもできません。

 

一時期に話題になった遺伝関連の記事で”残酷な「遺伝の真実」あなたの努力はなぜ報われないのか”というものがあります。

 

私はこの記事でとりあえげられている研究がどのような評価を受けており、どれほど信頼性があるかなどについては、専門的に勉強している立場ではないので詳しくは分かりません。

しかし、大学で発達心理学や行動遺伝学の授業をとったことのある人なら分かることですが、遺伝の影響は明らかに無視できないほどに大きいです。

 

全て遺伝によって決まるということは決してありませんが、あらゆる能力のだいたい半分くらいは遺伝的要因で説明できてしまうといっても過言ではないレベルで、初めてその事実を知ったときに「親ゲーが過ぎるだろ…」と思ったことをよく覚えています。

 

上述した記事”残酷な「遺伝の真実」~”ではIQ(成人期)や学業成績(9歳)の遺伝率60〜70%ほどで、神経質・外向性・開拓性などといった気質の部分も50%~70%ほどとなっています。

悠

正直、超難関大の入試問題の中には明らかにIQゲーと思ってしまうようなものも含まれていると感じます(異論は認めます)。

 

その他に記憶や知識も50%~60%の遺伝率らしいです。

参考書籍

 

これを大きいと見るか、小さいと見るかは人それぞれだとは思いますが、無視できない数字ではあります。

 

ただ、一言に遺伝と言ってもそれが発現するかには環境が関わっていることにも留意すべきです。

発達は遺伝だけで決定されるわけではない. 同じ遺伝子をもっていても, 異なった環境に置かれれば異なった発達が生じる. 特定の遺伝子をもつ人がある環境に置かれれば, その環境の影響を受けつつ一定の発達をすることになる. 遺伝と環境とは, こうしてそれぞれと相互作用しながら発達過程を形成していく。(心理学・第5版補訂版. 東京大学出版会. p.48)

”特定の遺伝子がある→〇〇の分野で成功できる!”という単純な話では無く、結局環境も関係してくるということですね。

 

ただ、この環境というのも子供の意思でどうにかできることは少ないというのは前述した通りです。

結局、遺伝・環境の両方に対して親の影響が大きいということになり、これが親ガチャの真髄なのだと私は思います。

努力も才能のうち?

ここまで話して「遺伝とか環境とか努力しない言い訳!」とおっしゃる方がいるかもしれません。

 

私は「努力できるかどうかも才能である」とする立場です。

こう思う理由として、私自身が本当に努力できない人間で長年それについて苦しんでいたというのがあります。

 

ある時それが発達障害(生まれ持っての脳の特性)による影響が大きいと知った時に納得できてしまいました。

努力が根性ではどうにもできない(生死が関わったらどうなるかは知るよしもありませんが)ことを体で分かっているので、努力できない人を攻める気には全くなりません。

 

まぁこれだけ聞くとただの個人の体験でありポジショントークになってしまいますが、実際のところ努力できるかどうかも遺伝の影響が大きいことが示唆されています。

 

2014年に、David Z. Hambrick & Elliot M. Tucker-Drobによる850組の同性の双生児を用いた音楽練習における遺伝の影響を調べた研究が発表されました。

参考:The genetics of music accomplishment: Evidence for gene–environment correlation and interaction

研究の結果、熟達した音楽家はそうでない音楽家よりもはるかにたくさん練習しているのは確かで、さらにそのように多くの練習を行うことについては遺伝的影響が認められるということでした。

もう少し詳しく言うと、練習に対する達成感の違いに遺伝的影響が認められるということでした。

これは音楽練習の研究ですが、勉強に置き換えるとすれば、同じ勉強をやっても達成感が大きければさらに勉強する可能性が高い一方で、大して達成感が得られなければつまらないので勉強を続ける可能性は低いということになってしまいます。

他にもやる気について、メタ分析の論文を取り上げた記事がありましたので載っけておきます。

参考:知能だけでなくやる気や集中力にも遺伝が影響 子育ての努力に意味はあるか

 

勿論論文は、再現性が無いと指摘されたり別の論文で真逆の結果が出たりというのが普通にあるので「論文になった=正しい」とは確実には言えません。

 

ただ個人的には、体のパーツや身長・体重、身体能力(いわゆる運動神経)などは遺伝の影響が一般に認められやすい一方で、「脳は本人次第だ!」と言える根拠が分かりません。

 

やる気の話で言えば、それは脳の報酬系の問題でありそれらは個人差があり、その脳は誰から貰ったものかといえば親から授かった物質から構成されたものです。

 

当然脳は可変的で環境で後天的に変わる余地はあるでしょうが、脳の初期値は親から与えられたものからは変えられませんし、発達に大事な幼少期は親の影響が…(以下略)

 

生まれつき努力がしづらい人がいるのは事実であり、そういった人に「努力できないのは甘え」というのは危険な考えです。

生まれつき足を欠損している方に「走れないのは甘え」と言っているのとなんら変わりないということを自覚しましょう。

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果たして犯罪者は悪いのか?

以上で書いた、遺伝と環境の影響を考えると社会的逸脱者に対する考えも変わってくるはずです。

実際私は、犯罪者に対する社会の異常な風当たりの強さに私は強い違和感を感じています。

 

犯罪のニュースを観た時、被害者は運が悪かったなぁなどと思いますが、それと同じことを加害者に対しても思います。

加害者を叩いて好き勝手言う人は傲慢であり、自分が加害者になりえたかもしれないという自覚が一ミリも無い。

そのことに私は苛立ちます。

 

冷静に考えて、加害者と全く同じ脳を持って生まれ全く同じ環境で生まれ育っていたらあなたも犯罪を犯しているんです。そのことについての自覚のない人が多い気がします。

 

遺伝的に反社会的で衝動性、攻撃性が強かったりすることで犯罪をしてしまう確率が高い人というのは存在します。その上環境まで悪かったらそれはもう同情ものです。

加害者は寧ろある意味で被害者だとすら言えます。

 

 

子供のそういった犯罪的性質を早めに検知して(倫理的問題で無理なんだろうけど)社会ケアで早めに対処する(どこまで意味があるのか分からないが)とか何らかの処置をしてあげることはできないものなのかと思いますね。

親ガチャはポジティブに捉えることもできる

親ガチャという概念は、親からの無視できない影響を受け止めた人達の、ある意味諦めのような感覚をうまく表現しているワードです。

 

ここまで親ガチャ派を擁護(?)するようなことを書いてきましたが、親ガチャという言葉を使う人に対して「それはちょっと違うんじゃない?」と思うこともあります。

 

それは、親ガチャはネガティブに捉えるだけではなくポジティブに捉えられる面もあるということです。

 

親ガチャを前提とした場合、自分の能力の乏しさを痛感した時に「まぁこういう脳を持って生まれたからしょうがない」と考えることができます。そこで終わります。自分なんかは全部それです。

 

人より少しでも優れているような能力があるということを自覚したときには、親に大感謝です。

 

こういう考えをしていれば、うまくいかなかった時に「なんで自分はこんな無能なのか、なんでもっとうまくできないのか」と悩むことが圧倒的に少なくなります。

逆にうまくいった時は「自分の実力なんてものは存在しない。全部親のおかげ。」となります。一周回って謙虚です。

 

親(先祖とも言える?)の”せい”か親の”おかげ”かの二択となるのです。

 

こういう考えをしていると人にも優しくすることができます。

変な人(自分にとって)がいても「元々こういう特性の脳を持った人なんだろう」と流せます。
自分が当たり前にできることが他の人にとってもそうであるとは思わないので、能力差があっても流せます(多分)。

(だから能力の高い人は自分にも優しくして…)

悠

こういった考えを持っているので、難関大に合格してイキってる大学生を見ると軽蔑の眼差しを向けてしまいますね。受かったのは君がすごいんじゃなくて親のおかげね。

 

あと言うことがあるとすれば、いくら親ガチャが事実だとしても親に言うのは確かに良くないことかもしれませんね。

 

自分は反出生主義よりの考えを持っているので、「育ててくれた親に失礼」とかそんなしょうもないことは思いませんが、単純に親ガチャ発言をすることで家庭不和が起こるのはコスパ悪いと思います笑

 

親ガチャを認めた上で、いい感じに自分に期待しないで生きることで幸福度は高まると思います。

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【おまけ】自分でできることはゼロなのか ~自由意志の存在~

「親の影響は確かに大きい。しかし、自分で変えられることが完全にゼロではない。自分で考えて自分で選択肢を選び、なんとか環境を大きく変えるべき。」

親ガチャだなんだとガチャガチャ言っていても、この可能性自体は否定できなそうに見えます。

悠

特に成人以降は自由度が高くなりますしね。

 

ただ、結局意思を発揮し選択肢の中から選んだと本人は思っていても、本当は10個くらいある選択肢が環境のせいで2個くらいになっており、その2つから”自由に”選んだと思い込んでいるだけということは普通にありえ、その場合は環境の問題ということに帰着される気がします。

 

また、そもそも自分で選択していると思っていることは本当に自分の意思で選択していることなのか?という問題が生じます。自由意志の問題です。

ここらへんは人によっては「そんなこといったらなんもできないでしょ…」と呆れてしまう方もいると思うのでおまけ程度で軽く触れます。蛇足です。

 

最先端の研究を追っているわけではないのですが、現在自由意志は存在しないという意見が強い気がします。

というのも脳には準備電位というものがあり、人間が例えば「手を動かそう」と思ったら、それより先にそのための電気信号が出力されるのです。

 

その一方で、自由意志の入り込む隙が0.2秒は存在するというような研究もあります。

参考:「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果

 

もうこれちょっと分かんないですね笑

 

ラプラスの悪魔の否定と、結局脳も物理法則に従うことから(脳のミクロ状態とかちょっと分からんけど)反応はランダムになるのかなとか思ったりしてます。

興味が続いて、かつ調べようと思った時が来たら調べようと思います()

この話題に明るい人がいたらぜひお話を聞きたいですね。

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