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ADHDと診断された京大生の幼少期~大学まで

大学生活

皆さん、ADHDはご存知ですか?

日本語では注意欠陥・多動性障害と訳されます。発達障害ですから治ることはありません。

 

ADHDの症状として

・忘れ物、ミスが多い

・一つの作業に集中できない

・喋り続ける

・物事を順序立てて行うことが苦手

・落ち着きがない

などがよく挙げられます。


これを見ると割と自分も当てはまるという方も多いかもしれません。

ですが、その頻度が尋常じゃないのです。



私は子供の頃から上記の症状に悩んでいましたが、ADHDなんて言葉は知りませんでしたし、親も”周りと少し違う子”という認識だったらしいです。



子供の頃は「まぁ子供だしね。」で済まされがちですが、成長するにつれて明らかな生きづらさを感じ、大学生になって初めて診察を受けました。



ADHDという診断を受けた時はやっぱりなという感じでした。

今回はそのADHDと向き合う私の単なる自分語りとなります。

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 保育園~小学校

幼児期のことは詳しくは覚えていませんが保育園でみんなと遊ぶときに一人で遊んでいたり衝動的に行動して周りに迷惑をかけていたと思います。

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怒って女の子の髪をはさみで切ったことがあるらしい(私自身は覚えていない…)


私の親は先生から「お子さんはろくな大人にならない」的なことを言われていたらしいです。

小学生の時は先生や親に怒られていた記憶がほとんどです。

 

学校から電話来すぎて家電話の着信音が怖くなってました(その時のエピソードはこちら)。

 

忘れ物がとにかく酷く、ほぼ毎日宿題や教科書など何かしら忘れていたと思います。どうしても忘れてしまうのです。

〇〇を明日学校に持ってこなければいけないと思うには思うのですが、当日になってみれば「忘れました」の繰り返し。

そのたびに怒られることになるので本当に毎日苦痛でした。

 

また、人の話が聞けないことも大きな問題でした。

自分では話を聞いているつもりなのですが、気づけば何も頭に入っていないということが多々。



先生の「ちゃんと話を聞きましょう」は飽きるほど聞きました。

中学校~高校

中学は普通の地方公立中に進学。やはりどうしても教科書を忘れてしまうので禁止とされていた置き勉をしていました(置き勉がなぜ駄目か今でもよく分からない。盗難とか?)。


おかげで授業中に教科書が無いということは無くなりましたが、正直教科書があってもなくても変わらなかったです。



なぜなら完全に勉強を放棄したからです。

まっっったく勉強に興味を持てませんでした。中3の夏までテスト勉強をした記憶が有りません。

ADHDに”要領よく”は困難を極めます。基本的に0か1かです。
成績は自明に低迷していきました。



基本的に定期テストで順位は出ませんが、中3のときの学力テストではクラス順位がでました。私の順位は見事に4番目でした。


勿論、下から4番目です。

流石の親も我が子の将来を案じたのか、中3の夏くらい?に私を塾に入れました。


そこそこに勉強を頑張り、数年に一度に東大・京大合格者がでるくらいの自称進学校へ進学しました。


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自称進学校に通っている人に伝えたいこと
 

高校~大学(精神状態悪化)

このあたりから周りとの違いが明瞭になってきました。

あまり周りと仲良くできませんでした。友達も少なかったです。



友達数人から(半分冗談でしょうが)「ちょっとアスペっぽいよね笑」などとからかわれたこともしばしばありました。(実際アスペ(今はASDという区分)の診断もされています…)

 

忘れ物なども小さい頃の時とあまり変わらず、体操着を持って帰ることや、学校にコートを忘れることなどは何度もありました。

また本当に苦しかったのが大学入試のための勉強です。

 

注意欠陥に散々に苦しめられました。


私は理系でしたが模試で数学や物理・化学で計算ミスを必ずしていました。

計算ミスだけならまだいいですが、問題文の読み間違い、飛ばし読み、解答欄ミス、マークミス(結局一度も自己採点と実際の点数が一致しなかった)など散々でした。

 


多分このくらいの時期に自分はADHDなのではと思い始めていたと思います。



高校卒業後は東京の大学に進学しました。


大学では自分の学科の勉強内容に全く興味を持てず不登校に。
集中力が無い、すぐ投げ出す、根気のない自分を本当に憎らしく思っていました。



その後、留年が確定したり退学してみたり、また入学してみたり、バイトに何回か挑戦するも全部2日ほどで辞めてしまったり、色々していたら精神状態が悪化しました。


気づけば、どうやったら生きられるかではなくどうやったら死ぬ勇気がでるのか、どうやったら死ねるのかを毎日考えるような日々に陥っていました。



病院に行ったらうつ病の診断を受けました。

 

流石にずっとこのままではまずいと思い、人が多くてうるさい東京が大嫌いだったこともあり、取り敢えず住む場所を変えようと決意。


京都という土地への憧れがあったことも起因して京都に住処を変えたのです。

お薬を貰ったが…

流石にこれほど何も続かない人間はおかしいと思い、高校の頃の「自分はADHDなんじゃないか」という疑問も晴らすべく診察を受けてみれば案の定。


さらに前述の通りADHDの他にもASDもありとのこと。



ストラテラというお薬を貰いましたが、異常な喉の渇き、食欲減衰、めまいなど軽微ではありますが副作用発症。


我慢出来ないほどではないにしろこれがずっと続くのは嫌だなと思い薬を飲むのを辞めました。

今はどうしてるか

一言で言えば好きなことをしています。

 

今までの自分は

”無理に何かに挑戦→どうしても頑張れない→なんでこんなにダメ人間なんだと自己肯定感down”

をループし、最終的に自分に期待しなくなり挑戦そのものを辞めてました。



これは精神衛生上よろしくないですし何より生きるのが辛いです。

ですから将来役に立つかは一先ず無視して今好きなことに焦点をあてて生きています。



興味のある分野の勉強を取り敢えずやってみたり、楽器をやってみたり…ブログもその一環です。
少なくとも前よりは生きやすいです。将来への不安は相変わらずありますが。



ADHDであることを悲観せず、寧ろその特性を活かして生きていくことを目指したいです。

ADHDは”少し変な人”で済まされる

ADHDは珍しい障害ではありません。

クラスに数人いても不思議ではないです。


彼らの中には、周りにいる多数派の”普通”に苦しんでいる人が多いと思います。
”障害”という言葉が重く感じられ、不安になる人もいるでしょう。


特性を活かした人生を送れるように、自分自身と向き合う時間を普通の人よりもかなり多めに確保する必要があるのだろうと私は思っています。

 

「ADHDで良かった」といつか思える日々が来ると信じて、試行錯誤していくしかないのです。

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