ほとんどの大学では出席点制度があるのは当たり前ですよね。
あまりにも当たり前すぎるので、この制度を不思議だと思う人は多くはいません。
ですが私はこの制度は即刻廃止すべきだと考えています。今回の記事はその理由について。
講義の質が落ちる
出席点があると何が起きるかというと、やる気のない学生もいやいや講義にくることになります。
彼らの多くは講義を聞くためにくるのではありません。出席するだけで点数が貰えるから来るというだけです。
彼らにとって講義は暇で暇でしょうがないですよね。スマホをいじったり、私語をし始めるようになります。
一人二人と私語をし始めるようになると、なんとなく自分も喋って良いんじゃないかという意識が(特にやる気のない生徒内に)生まれます。私語は伝播していくのです。
こうして講義室全体の空気は変わり始め、ざわざわし始めます。
これは真面目に講義を受けている学生にとっては迷惑以外のなにものでもないです。
これは生徒が注意してもあまり改善されません。
出席点さえなければこの問題は解決、とは言わないまでも改善されるのは明らかです。
出席点の無い授業は初回こそ多少うるさいということもありますが、講義の回数を重ねるごとに人が激減していきます。
やる気のない人はちゃんと講義に来なくなるのです。
できる人よりできない人の成績の方が高くなることがある
これ、個人的にかなり酷い問題だと思います。
出席点のある講義の成績は基本的に”出席点+試験の点数+(たまにレポート)”で算出されます。
この出席点の比率が大きいもの、例えば50%の場合、出席0回の人が試験で満点を取ったとしても落単することになります。
これは明らかにおかしいです。これを読んでいる人の中には「いや、出席してない奴が悪いでしょ」と思った人がいるかもしれません。
ですがそれは出席点が成績に含まれるのが当然という前提で考えているからです。
そもそも成績とは何らかの成果、結果に対して用いられる言葉です。
出席することが成果に入るのは大きな違和感を感じます。
講義を受ける目的を考えてみてください。出席することが目的ですか?
違いますよね。講義内容を理解することが第一に挙げられます。その講義内容をどれほど理解しているかを手っ取り早く知るためのものが試験なのです。
講義内容を理解するという目的があってその手段の一つとして出席するというものがあるのです。出席を目的としてはいけません。
大学側は「この分野の理解のために講義への出席という手段を用意した。できるやつは自分で進めてどうぞ。できないやつは講義聞いておくのを勧めるよ」というスタンスで良いのではないでしょうか。
たとえ試験一発評価の講義で出席せずに落単した学生がいても、「出席しなかったし、自分で勉強を進めたわけでもないからしょうがない。」と納得できると思います。
先生側も面倒くさいはず
これは本質ではないというかおまけみたいな感じですが、デメリットの一つではあります。
出席カードみたいなものをいちいち配って回収してそれを機械に打ち込んで…みたいな無駄なことをやっているはずです(ある程度デジタル化は進んではいると思うがデジタル化にしても、そのためにわざわざシステム導入するのもアホらしい)。
また大学の教授に、極々稀にですが寝ている人をわざわざ起こしたり、私語に対して苛ついて説教を始める人がいます。
私語を注意するのは真面目に受講している人からしたらありがたいことでしょうが、そもそも出席点あるんだからそりゃ講義内容に興味ない人もくるでしょ…と思います。
実力が無くても単位が取れてしまう
出席点という制度、驚くべきことに京大にもあるんですよね…
周りでもこの出席点に苦しめられている人はやはりいます。
それでも京大はまだマシかもしれません。
私が以前いた大学では出席点を重視する講義が割と多くてかなり苦しみました。
ある講義ではテストで満点近くとれたはずなのに出席点の関係でギリギリ単位取得となっていましたね。
周りに、テストはできなくても自分より評価の高い人が何人もいて納得できませんでした。
私は「自分の実力不足だから成績が悪いのはしょうがない」といった形で納得したかったのです。
出席点制度は裏を返せば、出席さえしていれば実力がなくても単位は貰えるというシステムになりえます。
大学生の学力低下を懸念し、大学生に勉強してもらいたいと考えるのであれば、出席点システムの廃止は大学生が勉強せざるを得なくなる一手段として働きうると思います。
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