今回は完全にただの熱々の自分語りです。
そういうのが苦手な方はブラウザバック推奨。
恐らくこの時期だとそろそろ成績開示がされる頃だと思います。
あまりの成績の悪さにがっかりしている方、もしくはもっと深刻で「留年するかもしれない」とふさぎ込んでいる人は一定数いると思います。
ちなみに私は過去にGPA0を4回叩き出してます。
私はADHDという発達障害持ちで、なんでもADHDのせいにするのはあれですが、間違いなく影響はあると思います。
関連記事:ADHDと診断された京大生のお話
結局大学も2回退学しましたし、もう履歴書ぐちゃぐちです。
成績が悪くてがっかりしているそこのあなた。下には下がいます。
是非私を下に見て少しでも安心して欲しい。そんな思いで今回の記事を書きます。
他人の不幸は蜜の味です。
フリーターを目指してバイトに今まで3回挑戦していますが、全て3日以上続かず。
将来ほんとにどうやって生きていこうか悩んでいます。
大学卒業も正直かなり難しいと思っています……
1年生 2期連続でGPA0
高校卒業後、第一志望に落ちた私は早稲田大学の理工学部に進学。
(早稲田大学についてはこちら↓)
そして5日ほどで不登校になる。 ~完~
…で終わっては流石にあれですかね。
でも正直そこまで大した話ではないのです。
私は滑り止めの学部・学科を適当に選んでしまい、いざ入ってみるとそこでの勉強内容に全く興味が持てず。
必修の実験に寝坊した日に「もう行かなくていいや…」となってしまいました。
自分でもなんでこんな考えができるのか分かりません。
とにかく自然なムーブで不登校になってしまったのです。
先に言っておくと、1年前期だけでは無く後期も不登校で二期連続でGPA0を取ることになりました。
不思議なことにこの不登校期における全体についての記憶がそこまでありません。
昼夜逆転、毎日朝までアニメ視聴、夜のゲーセンに通う、受験勉強に挑戦してみたり…
ただ夏の江ノ島だけはとても強く記憶に残っています。
今このように書いていて、あの情景を思い出して何故か泣きそうになります。
結局江ノ島には京都に移るまで年に2回ほど、それも毎年行っていました。
1年がたち、2年生(早稲田大学は勝手に学年が上がる。1年生みたいなもの。)になった時、今年は頑張るぞい!と意気込んだのを覚えています。
ちょっとがんばった2年生
さて2年生はどうだったか。
結論から言うと2ヶ月か3ヶ月ほどで不登校になりました。
ちょっとは頑張ったもののやはり継続して大学に通うことは不可能でした。
確か実験に寝坊したのがまたきっかけで不登校になった記憶。
しかし、理工学部は不登校になりましたが社会科学部の社会学の授業には潜っていました。
たまたまその頃社会学に興味があり、どんなものなのか覗いてみようというノリだったと思います。
そして前期が終わり、言うまでもなくGPAは0。
私は大学を辞める決意をしました。
卒業できる気もしないし、学費も勿体無いと思ったのです。
とりあえずもう一回受験しようかなとは思いましたが、結局最後まで頑張れず。
それでも早稲田大学の社会科学部に合格。
国英数の三教科だったのでなんとかなりました…(なお試験数日前に気がおかしくなった模様)
2回目の1年生
社会科学部へ入学した時「私の人生はここからはじまる!!」って感じでしたね。
理工学部と違ってそこまで忙しくない、卒業はできるだろうと本気で思っていました。
そしてなんと実際、この2回目の1年生の時の前期GPAは0じゃなかったのです!!
一般的な大学生からしたら大したことじゃないとは思いますが、私からしたら快挙でした。
落とした単位は一つだけで、GPAは3に届かないくらいだったと思います。
しかし、この時私は絶望していました…
というのも前期は余裕で大学に通えていたわけではなく、あと一歩で不登校という感じでした。
そして前期が終わった時、「これをあと7回も繰り返すのか…」と思い、やっぱり卒業は無理なんじゃないかという気持ちが湧き上がったのです。
大学に行くことを考えると手のひらに湿疹がでたりしていました。本当に辛かった。
そして後期が始まって一ヶ月くらい経った頃でしょうか、授業中に急に涙がでてしまい、その日以来大学に行くのを辞めました…
勿論GPAは0。4度目のGPA0となってしまいました。
お引越し
東京という環境が大嫌いだったこともあり、転地療法の一環として神奈川か京都に住もうと思いました。
大学にはもう行きたくなかったので、取り敢えず1年間静かな場所で考えさせて欲しいと親には言いましたが、大学には行けとのこと。
私立は学費が高いので、国公立を志望に。
京都と神奈川に憧れがあったので取り敢えず横浜国立大学を目指そうと当初思っていましたが、人間は欲がでてくるものなのです….
もう少し本気になれば京大になら届くのではないかと思うようになりました。
努力出来ない自分はこの数年で散々分かりきっていたので、全力で勉強法を工夫しました。
勉強時間を増やすことは完全に諦めたのです。
結果、なんとか京都に住めることになりました。
現在
勿論、住む場所を変えただけなので問題の根本的解決には全くなっていません。
実際、京大の前期もほぼ不登校状態でした…もう無理。絶対卒業できない。
冒頭でバイトの話をしましたが、3回バイトに挑戦したうち2つは2日で断念し、残りの1つは初日でクビになりました。
(工場での倉庫整理バイトの話がこちら↓)
私と同じような状況の人は、多くはないでしょうが必ず大学にいるはずだと思うんですよね。
彼らはどうやって生きていて、これからどうやって生きていくのかとても気になります。
…と完全にこの記事の趣旨を忘れていました。
取り敢えず、この記事を読んで少しでも心が軽くなった人がいたのなら幸いです。
人を蔑んで安心しましょう。
GPAが崩壊した方、一緒に頑張りましょう!
留年が確定した方、一緒に頑張りましょう!
卒業できないかもしれない方、一緒に頑張りましょう!
頑張りましょう…(血の涙)
<関連書籍紹介>
就活をテーマとした直木賞受賞作。映画化もされた作品です。ラストの展開には驚かされました。面白かったので是非。
コメント
大学留年して死のうとしてました。この記事に助けられました。
頑張ります。
その後どうされているのですか?
あなたみたいに賢くはない大学生の息子(ADHD)を持つ母です。
コメントありがとうございます。
現在は一応大学生ですが、留年はほぼ確実といった状況です。
そうなんですね…
ウチも昨年はギリギリ大丈夫だったのですがたぶん今年はアウトです…
コロナで全オンライン授業になったのが致命的です。
元から提出物を仕上げること、期限を守ることが難しいところにこの状況…一刻も早く対面が始まらない限り再起不能だと思います…
勉強はめちゃくちゃできなくはないのに本当に勿体ないです;_;)
i様はもっとだと思います。
私も大学を一度退学してまた別の大学に入り直し、そこでも留年して人生お先真っ暗に感じていました この記事を読んで少し救われたような気がします
5年前の自分を見てるみたいや…
文才◎