子育てはとても大変なことだと思います。
子育てという過程の中でも幼少期の教育というのは後々にまでずっと影響を及ぼし続けます。
幼少期で子供にトラウマなんて植え付けてしまったらそれは大変なこと。
子供というのは親の言っていることは意外と覚えているものです。
私の実体験以外にも教育的に明らかによくないであろうと私が思う、親が子供に言うべきでない言葉、とるべきでない態度を選抜しました。
言葉編
まず、親が子供に言うべきものではないと思う言葉についてまとめます。
子供を叱っているときなんかだとついつい興奮してしまい、明らかに言うべきでないような言葉もうっかりでてしまう場合があります。
その言葉が将来に渡って子供の心中に引っかかり続けたりするのが怖いところ。
ダメなものはダメ!
これ親から言われて本当に嫌だった言葉、ダントツ一位
これは説明が面倒くさくなって説明を放棄した、残念な大人の一言としか思えない。
幼少期にこの言葉自体に強く違和感を覚えましたし、大学生になった今では明らかに言うべき言葉ではないと確信しています。
ダメなものはダメという言葉を考えてみると、子供が「なぜ〇〇はダメなのか」ということを聞いているのに「〇〇はダメだから」という論理で押し通そうとしているということです。
「なぜりんごが好きなんですか?」に対し「りんごが好きだからです」と答えている感じ。
その他にも例えば、家の中の決まりごと・ルールがあるなら、そのルールがなぜ必要か、そのルールがないとどんな大変なことが起こるかということを説明すべきです。
子供は知的好奇心旺盛な生き物。
ダメなものはダメというのはその知的好奇心を失わせてしまう恐ろしい言葉です。
必ずすべてのことに理由・根拠をつけるべき。子供が思考する癖・機会さえ奪いかねません。
男(女)のくせに
言われた経験あり。これもそこそこ嫌だった。
親が熱血系だとこういうことが起こる。
男のくせに泣くな、男のくせにいじけるな、男なんだからしゃきっとしろなどなど
枕詞かなにかのように「男のくせに」をつける。
私は男ですが、正直”男らしさ”というのが嫌いで、今でもどちらかといえば可愛いものに惹かれます。
この性別の問題に限らず、なんらかの概念の枠に閉じ込めてその枠を使って子供を諭すというのは個性の抑圧行為だと思います。
子供には個性を伸ばさずロボットのように成長してほしいと思う親御さんでしたら、まぁそういい発言をどんどんすればいいとは思いますが、そうでないならやめるべきです。
あなたは頭が悪いんだから…
こんなこと言う親いるのか!?って感じですけど普通にいましたね。
私は、親から頭が悪いとは一度も言われたことがないので、自分の子供に対して頭が悪いという親の存在は本当に驚きました。
大体、子供の頭が悪いのって大抵が親のせいだと思うのですが…
頭が悪いなんて全否定されたら、子供は「私は頭が悪いんだ…」と自分でも思うようになり、自己肯定感がさがるだけでなく何かに挑戦するということもなくなっていくでしょう。
「私はできるんだ!」という気持ち(ハッタリでも構わない)がないとスタート地点にすら立てません。
子供のできの悪さにあまりにも失望したことから無意識にでてしまう言葉なのかもしれませんが、ぐっと堪えましょう。
ちなみにですが、だからといってお前は天才だというように能力をやたらと褒めるというのも良くないらしいです。能力に対してではなく努力に対して賞賛を与えるのが良いとのこと。
超オススメ本
きちんとしなさい
これはしばしば言われた。
きちんとする必要があるからこう言うのでしょうが、何をどうすればよいのか、もっと言えば何をどうすればきちんとしたと見なされるのかということについて説明されないと前提知識がない子供は特に困惑するでしょう(私ですら困惑する)。
親にとっての”きちんと”と子供にとっての”きちんと”の意味的距離がいつまで経っても縮まらなかったら、親は何度も「きちんとしなさい」ということになりますし、子供の方も「自分はいつまで経ってもきちんとできない」と思いだんだんと自信を失っていきます。
多くに通じますが、子供を諭す時具体性と論理性を放棄してはいけないというのが持論です。
態度編
子供に接する時の態度、行動について話します。
心構えと言ってもいいかもしれません。
まずは勉強に関することで2つ。
勉強を教える時
小学生・中学生くらいのお子さんをお持ちの方は、お子さんから学校の勉強について質問されることが必ずあると思います。
お子さんの学力というのは、親が強い関心を示すことの1つであると思います。
勉強を教える時に注意すべきこと(特に算数・数学)というのが疑問点に対して「それは覚えるだけ」などと言って子供の思考する機会を奪ってはいけないということ。
算数・数学であれば公式がなぜその形になるのかということを説明すべきですが、それをせずに「取り敢えず公式だけ覚えておけば問題は解ける」という教え方は最悪。
筆算の繰り上がりの仕組みや、三角形の公式の1/2というのはどこからでてくるのかなど根本から教えるのが長期的にみて子供のためになるはずです。
親が分からなかったら、親も一緒に考えるくらいのことをしてあげるべきだと思いますね。
「そんなに暇じゃない」「子育てはそんなに簡単ではない」などと言われそうですが、私はその大変さを含めて子育てだと思っています(だからこそ私は子供は作らないと決めている)。
お子さんが教科書を疑問に思って質問してきた時、それは面倒事なんかではなくむしろチャンスだと思うべきです。
それに答えてあげれば「じゃあこれは?あれは?」というふうにどんどん疑問が増え、それらが解決されていくたびに楽しくなっていき、勝手に勉強していくようになるという可能性は高くなります。
「取り敢えず覚えろ」はそこで全てが完結してしまう、発展性のない言動なのです。
無関心
先日電車の中で、子供が(恐らく)学校で学んだことを一生懸命に母親に話しているのに、母親がガン無視を決め込んでスマホをいじっているのを見て勝手に悲しくなりました。
子供が自分から学んだことをアウトプットするなんてかなりすごいです。
しかし、それに対して何の反応も示してあげないというのは子供の芽を潰していることになると思います。
子供が熱心に何かについて話していたら(勿論勉強のことでなくても)、しっかりと聞いてあげて疑問を投げかけてあげるのがいいです。
前項の話とかぶりますが、「それはどうしてだと思う?」「〇〇の場合はどうなるかな?」と子供に考えさせるのです。
考える癖というのは一朝一夕でつくものでありません。
子供に勉強も頑張ってほしいなと思う親御さんはこれらのことを意識するのがいいと思います。
急に大声で怒鳴る
次は叱るときの話。
いきなり声を上げて怒鳴りつけるのはやめたほうがいいです。
威圧してもいいことはない。子供を説得できないからって恐怖で子供の行動を支配しようとしている残念な大人の末路。
あと正直な話、怒鳴られても怒鳴り声が怖すぎて内容が全く頭に入ってこない笑
子供が悪事を働いて叱る必要のあるときは怒鳴るのではなく、まずなぜその行為をしてしまったのかという原因追求となぜその行為が悪いことであるかを子供が分かるまで説明するべきです。
大事なものを隠す
最後に私が強く記憶に残っているものを。
子供が大事にしているものを隠すという行為なのですがこれって私の親だけですかね?笑
あまり一般的な話ではない気がしますが、とても記憶に残っているので書きます。
私が小さい頃、数日続くような喧嘩のとき、私の親は私がその時一番大事にしていたものを取り上げたことが数回ありました。
知らないうちに部屋の物が消えているのです。
この物を隠されたケースのうち、一番ひどかった時のことは今でも覚えています。
私の親は「あんたの部屋の〇〇捨てておいたから」と言い放ちました(実際には隠していただけだったと後から分かったが)。
何を隠されたかはもう覚えてませんが、とても大事にしていた物だったのでしょう。
ワンワン泣き叫んだ記憶があります。
あの頃から人を信用できなくなりました。
実際あのとき「家族でも絶対に信用してはいけないんだ」と強く思っていました。
私はかなり人間不信で、特に異性に関しては極めて強い不信感を持っていますが、この人間不信の一因に間違いなくなっていると思いますね。
あまりいないとは思いますが、子供が大切にしているものを取り上げる癖のある親御さん、やめてあげてくださいね…
まとめ
結局、”子供と真正面から向き合う。対話を蔑ろにしてはいけない”ということなのですが、まぁ私はただの大学生ですし、「子供を育てたこともないくせに」と言われてもしょうがないですね。
ですが少なくとも、”子供を育てるのが大変である”ということが上記にあげたような態度・行動を正当化する理由にはならないはずです。
私は、無責任に、親のエゴで自分の子供を作る人間が大嫌いなのです。本当に気持ちが悪い。
今回は数を絞って書きましたが、勿論もっと言いたいことはたくさんあります。
冒頭でも書きましたが、子育ては考えなきゃいけないことが多すぎるのです。
不幸な子供が生成されないことを祈るばかりです。
コメント
僕の家庭はよく体罰が日常化してたんですが、体罰に関しては賛成ですか?是非とも意見聞きたいです。