常識がない人に対して、
えぇ!?そんなことも知らないの?笑
そんなの常識じゃん!!
というような人たち、いますよね。
常識が無いと知るや、反射的にバカにしてくる人はどこにでもいるものです。
しかし私は、相手の常識が無くても絶対にバカにはしません。
常識が無いくらいでその人の頭が悪い、世間知らずだとはみなせないからです。
今回はその理由について書いていきます。
常識は機会の問題
まず、常識を知っているかどうかというのは機会の問題だというのを認識すべきです。
例えば、義務教育で得るような知識。
これらの知識は義務教育において無償で提供されるものですが、無償で提供されるからといって皆がそれらを100%享受できるかと言えばそうではありません。
実際、不登校で学校に行けなかった人などにとって義務教育の知識は常識とはなりえません。
それなのに、それをみんな知っている常識であろうと断定し、全ての人に当てはめるのは酷です。
それ以外でも単純に授業に興味が持てなかった、先生が嫌いだったなど、常識の獲得がなされなかった状況というのはいくらでも思いつきます。
そういう人がいる中で、たかだか義務教育という”国が定めた常識”に外れたからと言って、まるでその人の頭が悪いかのように扱うのは明らかにおかしいと思います。
常識という知識がない人をバカにするケースで個人的に1番多いと思うのが、漢字が読めないことに対するもの。
誰もが知っている(とされる)ような小学校で習う常用漢字の熟語を読めないと「頭悪すぎる」「流石にヤバイw」と馬鹿にする人はかなり多いです。
しかし、繰り返しになりますが、常識の享受の段階でなんらかの理由があって機会を失ったという可能性は普通にありえ、その場合の常識欠如はその人の頭の良し悪しとは関係がないです。
これ以外にも、私が常識のない人を馬鹿にしない(というかできない)理由は他にもあります。
相手にとっての常識
世の中の多くの人にとって当然の知識とみなされていることは多くあります。
一方、それらに全く興味がない人がいるというのも、理解はしていただけると思います。
当たり前のことですが、当然の知識とみなされるものに興味のない人というのは興味が別の方向に向いている可能性が高いです。
つまり広く共有されていることを知るために多くの人が使っている時間・労力を別の分野のことを知るために使っている可能性が高いということです。
とすると、あなたにとっての常識が相手になかったとしても、相手にとっての常識はあなたにとって眼を見張るものであるかもしれないのです。
もしかしたら相手は、あなたが想像もつかないような専門的な知識を持っているかもしれないのです。
その専門的な知識は相手からしたら”常識”なのです。
あなたの「なんでそんなことも知らないの?」という言葉はそのままあなたにも当てはまってしまいう可能性があります。
常識とは
完全に普遍的な常識なんてものは存在しないのです。
属しているコミュニティによって常識は大きく違います。
世の中の多くの人が属しているコミュニティで共有されている知識(=常識)を振りかざして、そのコミュニティに属していない人を馬鹿にするのは傲慢でしょう。
「あなたはAについては知らないみたいだけど、Bについては詳しい。Aを話すから、Bについても教えてほしい」
という流れが連鎖していけば、スムーズにそして多くの人に知識の共有がなされます。
単純に「Aも知らないのかよw馬鹿だなぁ」で終わってしまっては両者にとって勿体無いですし、なによりその言葉を言われた方は気分を害すでしょう。
多様性の容認にはこういった心がけも含まれるのではないかと私は思うのです。
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