タイトルの通り、私の家ではゲーム完全禁止でした。
テレビゲームだけ禁止とかではなく、携帯ゲーム機なども含めて全て禁止でした。
恐らく私の家のようなゲーム完全禁止はそこそこの少数派ではあると思います。
今回はそんな環境で育った私が、ゲーム禁止を当時どう思っていたか、また現在の目線からゲーム禁止の是非などについて語っていきたいと思います。
我が子のゲームのやりすぎを心配する親御さんには部分的に役に立つかもしれません(?)
ゲーム禁止の当時を振り返ってみて
ゲームを欲しいと思わなかったのか?
家庭環境の話をするとき、たま~に「うちはゲーム禁止だったよ」と言う機会があります。
そのときはほとんどの場合驚かれ、「ゲーム欲しいって思わなかったの?」と聞かれます。
そのことについてですが、結論を言うと”一時期(といっても数日間)欲しいと思った時期はあったがそれ以降欲しいと思わなくなった”となります。
小学生くらいの頃だったと思いますが、親にゲームを欲しいと言った記憶があります。
その時のことはよく覚えています。なにせ親には猛烈に拒否されましたから。
確か2日か3日くらい私は駄々をこねましたが、親は全く動じる気配が無く、私も「これは無理だ」と思いおとなしく諦めました。
親はゲームを悪の根源かのように嫌っていました。
ゲームの話題を出すだけで機嫌が悪くなるとかそういうレベルだったと思うので、私自身、自分がゲームを所有するという姿を想像できませんでした。
そして自然に(?)ゲームを欲しいと思うこともなくなりました。
小学生の頃は、サッカーを習っていたり、将棋にハマっていたり、昆虫採集で忙しかったりしてたのでそっちのほうがゲームよりも魅力的に見えたのかもしれません。
ゲームは友達の家でやるもの
ただ、私自身は別にゲームは嫌いではないです。というか寧ろ好きな方だと思います。
友達の家でゲームをやるのが本当に好きでした。
スマブラなんかは本当に好きで、遅くまで頑張って友達の家で練習した記憶があります。
親には友達の家でゲームをして遊んでいるとは言えませんでしたねー。
親に隠れてこそこそ友達の家でゲームをやっていました。
ゲームは”友達の家でやるもの”という認識でしたし、実際友達の家でゲームをやるだけで十分ゲーム欲は満たされていました。
…と言っても実は一度だけ友達から期限付きで、ゲームボーイアドバンスSP本体とカセット(ポケモンのルビーだったと記憶している)を借りたことがあります。
その時は暇さえあればずーーっと(といっても1週間くらいの期間だったと思うけど)ポケモンやってました。
学校をズル休みしてまで布団の中で隠れてポケモンやってた記憶があります。
私が今までの人生でまともにやったゲームは、あの時プレイしたポケモンのルビーだけなのです。
ゲームの話には全く入れない
ゲームが無いと友達の話についていけなくなったりするのでは?と気にする親御さんがいるかもしれません。
まぁ実際のところ、友達同士で時々でてくるゲームの話題はまっっっったく分かりませんでした。
でもあんまり困った記憶が無いです。
意外にも(?)そこまで多くゲームの話題がでた記憶がないんですよね。
もしかしたらこれは、今とは時代が違うというのがあるかもしれません。
私の時代はそこまでオンラインゲームが普及していませんでした(少なくとも私の地域では)。
多分、今の子だと家に帰って友達とオンラインでゲームをして、次の日にその話題で盛り上がる…とかいうパターンがありえるのでしょうが、そういうのは無かったような気がします(自分が知らないだけ?)。
ゲームを持っていないからと言って、話題に困るということはありませんでした。
現在は知りません。
ゲーム禁止を経て現在
ゲーム禁止の反動
ゲームをずーっと禁止されて育ってきたわけですが、いざ大学生でひとり暮らしを始めてもTVゲームや携帯ゲーム機を買うことはありませんでしたし、今もその気はありません。
買ったゲームと言えばPCでできるゲームをいくつか程度です。
私自身ゲームが悪だとかは全く思わないんですけど、単純に時間を無限に溶かしてしまいそうで怖いのです。
一度、大学生になってから友人宅でスプラトゥーンというゲームをやらしてもらったことがあります。
その時私はスプラトゥーンの面白さに素直に感心しました。
操作が難しすぎて全然うまくできなかったのですが、面白いゲームであることはひしひしと感じました。
それと同時に、「こんな面白いものが家にあったら、寝食忘れて熱中してしまう」という怖さを感じました。
学校をズル休みしてまで、ポケモンをやっていたので十分そのようなこともありえるでしょう。
もしも私の家がゲーム禁止じゃなかったら、私はずーーっとゲームをしていたはずです。
今思えば、総合的に考えると”ゲーム禁止”は良かったなと親に感謝しています。
ゲームのことが分からない悲しさ
ただ、ゲーム禁止の家庭で育った結果、1つだけ悲しいことがあります。
それはゲームの世界を全然知らないこと。
私は小説や映画を見るときと同じ目線で、ゲームを作品として見ています。
世にこれだけたくさんのゲームがあるのですから、琴線に触れるような素晴らしい名作ゲームが数え切れないほどあるはずです。
しかし、残念ながら私はゲームを知らなすぎる。
ドラクエもファイナルファンタジーも名前しか知りません。
バイオハザード、モンハン、ゼルダやカービィ、マリオなどなど挙げればキリがありません(適当に聞いたことあるゲーム挙げてます)が、有名ゲームと呼ばれるゲームの内容を全然知りません。
有名になるのには理由があります。
確かに私に合うゲームばかりではないとは思いますが、いくらなんでもあまりにも知らなすぎてなんだか損している気分なのです。
時間を守れるならOK
「ゲームをやってばかりで勉強をしないうちの子は大丈夫かしら…」という悩みを持つ親御さんは多いと思います。
ゲーム中毒状態とかなら流石に成績に関係してくるとは思いますが、時間を守ってゲームを遊べるなら問題ないはずです。
第一、ゲームばかりしている子供からゲームを取り上げたからと言って、子供がその空いた時間を勉強にあてる可能性は低いでしょう。
ゲームをしていた時間をTV視聴にあてたり、スマホ見たりする時間にあてたりするだけだと思います。
前話題になった、香川県のゲーム条例に見られるような、ゲームへの過度な否定的見解は短絡的だと思いますね。
自主的に勉強する意識が芽生えていないだけの話なのに、それをゲームのせいにするのは完全な誤りでしょう。
少なくとも私は、小さい頃にもう少しゲームの世界を知っておきたかったなーと思っている立場です。
ゲームを禁止するということに躍起になるのではなく、メリハリをつけて時間を守らせるということを重視すべきなのではないかと思っています。
いくら子供に勉強してほしいと思っても、流石にずっと勉強なんてできる人間はいませんからね。
良い娯楽としてゲームを活用していきたいものであります。
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