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受験における地域格差が完全になくなったら残酷な世界が待っている

教育全般

大学受験までくらいの勉強なら、ほとんどネットでできるのではないかと思えるほどに今の世の中は進歩しています。

 

昔に比べれば、ネット環境さえあれば個人の熱意次第でかなり進んで勉強できる世になりました。

勉強リソースそれ自体の地域格差というのは非常に小さくなってきているわけですね。

 

しかし、“勝手に入ってくる”情報の取得機会というでは、田舎は依然として明らかに不利です(何を言っているのか分からないという方は下記記事をどうぞ↓)。

参考:https://abireharu.com/entry/countryside-entrance-exam

 

そこで、もし受験勉強における地域格差が完全に消えた世界(ネットの講義・予備校の授業などを全国の学生が一律に義務教育において享受できるような世界)が訪れたらどうなるんだろうなーとふと考えてみました。

※YouTubeの講義ならネット環境さえあれば誰でも視聴できますが「ネットでほとんど勉強できる」というふうに考えられない学生は驚くべきことに普通に存在しています。それを知る機会さえも平等にしようという意味での”義務教育において”です。

 

このような素晴らしい世界が実現したらとても良いことですよね。

ただ実際のところ、この世界が実現したとき学生たちは残酷な現実を目の当たりにするというのが私の考えです。

 

今まで書いてきた記事でも散々申し上げていますが、受験には地頭は間違いなく関係します。

努力するという能力自体も本人ではどうしようもない場合はあります。

参考:https://abireharu.com/entry/juken-talent-parents

 

地頭が良いけど、教育投資されずうまく能力を伸ばせなかった人。

逆に、地頭は悪いけど親がお金持ちで、多額な教育投資を受けてなんとか能力を伸ばせた人もいます。

 

教育機会の地域格差がなくなり、誰もが”全く同じ”情報・勉強機会に無償でアクセスできるようになったとしたら受験は遺伝子ゲーム、ガチガチの地頭バトルになります。

 

今は「あの子の家はお金持ちで予備校に通えてるから成績がいいんだなぁ」という言い分が認められる世界です。

真の意味での教育機会の平等が実現するとそんな言い訳は通用しなくなります。

地頭なんて関係ないという前提に立てば、スタートラインはみんな一緒なのですから。

 

スタートラインが一緒なのに差がついたらそれは元々の素質で説明するしかありません。

 

意欲格差も如実に現れることになるでしょう(意欲も元々の素質の一部だとは思いますが)。

 

意欲がある生徒はどんどん自分で進んで学習していきますが、勉強に興味を持てない生徒は主体的に学ばないので、その成績の差はより大きくなります。

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勿論、現在の教育でもそうなのですが教育機会完全平等世界ではその差がはるかに大きく、明確になるということが言いたい。

 

成績の悪い生徒は成績の悪さを自分以外の何かのせいにすることができなくなります。

「私は勉強に向いてないんだな」という考えに早々に至る人が多くでてくるはず。

 

でも私はそれでいいと思います。

別記事でも言っていますが、勉強を苦痛だと思う人が勉強に無理に固執する必要はないです。

 

若い時の時間を好きでも得意でもない勉強にひたすら費やすのは、はっきり言って無駄だと思います。その時間で別のことをしたほうがいいです。

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勿論勉強が好き、どうしても入りたい大学があるとかなら別ですが

 

私自身、受験勉強でかなり視野が狭くなっていたと思います。

人生において、いかに早く自分の向いてない分野に気づき、向いている分野に全力投球できるかが重要だと私は信じています(これは私がまだ若造だからこういう考えなのでしょうか…)。

 

…とここまで仮定をもとに色々書いてきましたが、全部ひまつぶしの空想に過ぎません。

実際、上記のような教育機会完全平等世界なんて実現不可能でしょう。

そんな簡単に平等が実現したら世の中もっと平和です。

 

ですがそれはそれで幸せなのかもしれませんね。

人間常に何かしらを言い訳を探して生きているものですもの。

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