三大創作活動として作曲、絵、小説が挙げられると思います(今の時代ならプログラミングも入って四大?)。
これら3つは創作活動としてまとめられることが多いですが、ふとこれら創作活動の特徴(というより特色?)や難しさはなんだろうと思いました。
残念ながら自らがそれらの創作活動に従事しているわけではないので、創作活動をしている知り合いから聞いた話、彼らを見て思ったこと、またそれらの活動の特性から言えることを述べようと思います。
自分は創作活動をしている方と話したい欲が強いので、本記事を読んでなにか言いたいことがあれば是非是非コメントやTwitterのDMまでお願いします。
前提
各創作活動の難しさについて考えると言っても今回は、素人が音楽を聴いて/絵を見て/小説を読んで「すごい!」と思ってくれるレベルに達するまでの難しさを考えます。
流石に、創作活動で食っていけるレベルのことを考えるとなると「そりゃほぼ才能ゲーでしょ(努力も才能の1つと定義)」となってしまうので。
作曲
良い曲、多くの人に刺さる曲を作るのはとても難しいことです。
しかし、音楽として特に違和感のない曲、もっと言えばそこらへんの店でBGMとして流れてても変とは感じない曲を作るというのはそんなに難しくないと思います。
というのも音楽は構造による規定が強いからです。
ピアノを例に考えますが、ピアノの白鍵だけを使うと決め、左手で王道進行*を繰り返し、右手で好きなようにメロディを弾く。
終わりたい時は右手はド&左手はドミソとかドミソシとかを弾く、などなど取り敢えず基本ルールみたいなものを知った上で弾けば一応それっぽい曲としては成り立つはずです。
*コード進行の一種です。コード進行は曲の中での和音の動きと思ってもらえればいいです。
白鍵だけと言いましたが黒鍵だけを使っても同じことです。
とにかくそういった構造上の規定がもともと強いので、構造を把握することが重要となります。
しかし、人の心に残る曲を作ろうとなれば勿論それだけではダメなわけです。
曲全体としては基本ルールに則ることになる(調性とかはその代表例)わけですが、時々基本ルールから外れたりもしないと同じような曲ばかりになってしまいます。
メロディの独自性や楽器の組み合わせなどなど、とにかく本当に沢山の音楽的要素を考え尽くした結果、良い曲というものが生まれるのでしょう。
そしてきっとそこにセンス・才能というものが必要なのだと思われます。
絵
絵も基本ルールがあるでしょう。
絵を描く方にルールについて聞いた時、「絵にルールなんてない!自由にやるんだよ!」と返されましたが自分が言いたいのはそういうことではありません。
音楽同様、素人が見た時に絵として不自然にならないための構造があるということです。
物が重なる時ってこう描くよね、この向きから光があたってたら影はこう描くよね、しわは大体こうだよねといったような根本的な基本ルールの上に”自由”があるはずです。
音楽だって例えばコンピュータを用いてランダムにリズムをつくりランダムに音を散りばめたら全く曲として成り立ちません。
絵でランダムに色を散りばめたらまぁ一応絵にはなるかもしれませんが、「これ何?」ってなりますよね。
ランダムは自由の極限ですが、本当の自由では良い評価は得られないのです。
さて、ではそれっぽい音楽と同じレベルのそれっぽい絵を書くことはどれほど難しいでしょうか。
絵は手先が器用ではないとダメなイメージがありますが、最近はデジタルツールの普及により、細かい修正が可能になっているので手先が不器用であるということによるハンデは昔よりはかなり小さなものになっていると考えられます。
しかし、絵は何度も描かないと上達しないので、一定のレベルになるまでの時間がかなりかかりそうであるということも言えそうです。
絵を始めるとしたら、恐らくいきなり模写から始めるのはダメ(これはプロもよく言うイメージ)。
まぁプロが言っているからどうとかではなく考えたら分かります。
音楽で言えば白鍵と黒鍵をデタラメに弾き、自分で構造・規則に気づこうとしている感じがします(音楽への例え変換ばかりですみませんが)。
そんなことせず、最初からルールそのものを学べばいいのです。
いきなり模写で全く上達しないということはないでしょうが、効率が悪いことは明らかなのです。
最初に絵を描く上での基本ルールを抑え、ある程度それらが分かったら好きなイラストレーターなどの絵を模写し、その中で自分らしさを見つけていくという流れになるのではないかと自分は考えます。
自分らしさというのは、何度も模写をする中で「自分だったらこの部分はこうする」「ここの色を変えたらどうなる?」ということの連続で構築されるものなのではないのでしょうか。
その表現方法にきっとセンス・才能が必要なのだと自分は思います。
さて、ここまで音楽同様、絵についてもルールを最初に学ぶということをお話してきました。
では小説はどうでしょうか。
※ここでいうルールというのは素人がみて違和感を持たないための条件と考えても良いです。
小説
作曲・絵・小説の中で自分は小説がもっとも構造規定の緩く、自由度が高いものであると感じます。
そしてそれゆえに、素人が作品を見て「すごい!」と言ってくれるレベルに達するのが一番難しいのではないかと思います(主観100%。異論は認めます)。
当然小説にも基本ルールはあります。
人称をどうするだとか、三点リーダは偶数だとか、「」の最後に句点は入れないとかそういうやつです。
しかし、それらのルールは自己表現のためのルールではないです。
音楽や絵は自己表現のための(表現に役立つ)ルールがあり、ルールに則れば(完成度の良し悪しは抜きにして)作品としての体がとれます。
その反面、小説はいきなり”自分”を出さなければいけないイメージがあります。
小説内の登場人物や世界観の設定、話の起承転結や文体など、完成品に占める”自分”の割合が明らかに大きいです。
構造に助けを求めることがなかなかできないのです。
当然、他の小説や文献からアイデアを得たりするのが基本なのは分かっていますが、結局作品として紡ぐ時に自分の頭で考えるという割合が大きい。
感覚での対処が難しく、作品の特性上どうしても自然言語に落とし込まなければならないという工程上の負荷もあります。
さて、例のごとくそれっぽい小説を書く難しさについて考えたいところですが、そもそも小説を書き上げることができる人というのが相当限られるでしょう。
キャラや世界観の設定を考えるだけでも大変なのに、ストーリーを考え、オチまでつけなければならないというのは流石に負荷が高すぎます。
そういうわけで、そもそも小説を一作品完成させることができる時点でめちゃくちゃすごい才能を持っていると個人的には思ってしまいます。
音楽・絵・小説のいずれも、その道で成功するためには才能が必要であることは自明です。
ただ、音楽・絵と比べた場合の小説の特徴は、チャレンジした早い段階で自分に才能がないと気付けることではないかと思います。
音楽も絵もやり始めはそこそこ上達を感じられると思います。それはある程度の自己フィードバックができるからです。
絵は視覚なので不自然なところがあったら一発で分かります。
ハイライト・影が上手く入れられるようになったなどの上達も気づきやすいです。
音楽は聴覚です。視覚ほど明瞭ではないかもしれませんがやはりおかしい部分はわかりやすい。
無理なく音に厚みを出せるようになったなどの上達は素人でも聴けば分かるでしょう。
では小説は?小説は感覚というより思考の比重が高そうに見えます。
自分の文章表現がおかしいとなっても膨大な自然言語からどうやって適切なものを選定すればいいのでしょう。
何かストーリーがつまらないと自己評価できたとしても、すぐにこうすれば面白くなる!と自信を持って修正することは難しそうです。
ルールを破壊するということ
ここまで、ルールや構造による規定というところを強調してきました。
自由な表現のためには一定以上のルールが必要であるといった、逆説的要素が創作において重要でしょう。
しかし、たまにそのルールを根底からぶち壊す人がいます。
例えばピカソ。
所謂キュビズムですが、これは簡単に言えば一つの視点ではなく複数の視点から見た対象が一つの絵に集約して描かれるものです。
所謂”普通の絵”を見ている人からみればこれは明らかに不自然ですが、それまで誰もそんなことをした人はいないというのもまた事実です。
このレベルに来ると絵というか、一つ高次の次元の物事を絵に反映させたという感じがします。
ずっとルールについて書いてきましたが、ルールをぶち壊すのが”ホンモノ”であり、それに関しては目指そうと思って目指せるものではないのでしょう。
さて、以上が創作活動の特徴・難しさについて考えたことです。
素人が聴いて/見て/読んで「すごい!」と思ってくれるレベルに達するまでの難しさについては、小説を書くという活動が最も高難易度なのでは無いかという結論でした。
プロレベルになるという条件、つまりその創作活動で食っていけるレベルになるまでの難しさという条件で考えたら当然また結論は変わるとは思います。
マルチクリエイターの方には是非ともそのへんについて話を伺いたいところであります。
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