アンパンマンの教育性といっても、以前少し話題になった「アンパンチ」などの暴力性についてではなく、アンパンマンのストーリーについて、過去の自分を振り返りつつ、私が感じていることをお話しようと思います。
私は善悪二元論主義者だった
私は小さい頃、夕御飯後に親と一緒にニュースを見るのが日課でした。
小学生くらいまでそんな感じでしたが、普通の小学生からしたらニュースの内容なんて殆どわからないんですよね。
いつも私は親に説明を求め、親も丁寧に説明してくれていました。
ところが国や人の間の対立の話になると親は私の質問に戸惑っていました。
というのも私はいつもこの質問をしていたのです。
これって結局どっちが悪いの??
本当にいつもこの質問をしていたなと思います。
この質問に対して、親はいつも丁寧に両者について話してくれていました。
そして「どっちが悪いっていうのは難しい」という結論になるのがお決まりでした。
この答えに納得できていなかった私はある日、親にいつもよりしつこく質問したんですね。
その時、私のことを鬱陶しく思ったか、それとも私の考えを正そうとしたのか分かりませんが、親は「世の中は白黒はっきりすることは少ない、大体グレーなんだよ」と言いました。
私は戸惑いました。世の中には善と悪の2つしかなくて全てそのどちらかなのだと、善が良いもので悪が悪いものであると思いこんでいたからです。
私の脳内には善悪二元論の考えが染み付いていたんですね。
この異常な善悪二元論主義の原因を考えた時、アンパンマンが真っ先に思いついてしまいました。
というのも当時、私はアンパンマンの狂信者だったのです。
アンパンマンのストーリー
アンパンマンのストーリというのは単純明快。
アンパンマンが正義でバイキンマンが悪です。
バイキンマンは悪で、善であるアンパンマンがアンパンチやアンキックでやっつけてバイキンマンをバイバイキンです。
正義は必ず勝つというやつですね。
さて、小さい頃からこれを見続けると、悪はやっつけなければならない、自分は正義にならなければならないという思考になります(少なくとも一時的には)。
悪いことは絶対にしてはいけない、最後には制裁を受けるのだと。
それについては別にいいのですが、問題は現実世界では悪が曖昧であるということです。
完全な悪というのがあるのかも怪しいです。
言うまでもないと思いますが、悪といってもそれは一面的なもので、別の視点からみたら善にだってなりえます。善悪は相対的なものです。
しかし、アンパンマンの世界では善と悪が完全に二分されています。
多感で影響の受けやすい幼少期にアンパンマンを見るのは良いこととは思えません。現実とのギャップが存在します。
勿論、私のように後で考えが矯正される人がほとんどだと思います。
ですが物事を見る時の視点、そして自分の意見の絶対性の盲信など、見えづらいところで問題が出る可能性があると思っています。
善悪の絶対性を自明とするアンパンマンよりも、最初から善悪の多様性を強調するアニメの方が現実とのギャップもなく、教育的であると私は思っています。
教育的なアニメとは
子供に見せたいアニメというのは探せばランキングなどいくらでも出てくると思います。
といっても子供に見せたいアニメといっても大抵、名作だから見て欲しい!というもので、教育的価値を1番に考えているものでは有りません。
教育的な意味で、子供に見せたいアニメとして私があげるのは「キノの旅」です。
(原作は小説)
この作品では主人公のキノが様々な国を旅します。国ごとで法律も価値観も人種も全く違います。
何が善で何が悪かというのははっきりしません。
キノは自分で考えて、自分で行動に移します。
大人でも考えさせられるアニメだと思います。
視聴者の考える余地がかなり残されている作品です。
このアニメをみて、親子で話の内容について話し合うだけで子供は相当考えることになります。
善悪は所詮相対的なものであると、早い段階で気づくことになるでしょう。
子供が広い価値観を持つきっかけになる、教育的なアニメだと自信をもって言えます。
もし子供をお持ちの方がこの記事を読んでいらっしゃたら是非一度でいいので観て欲しいです!
何を子供の教育材料に使うか
アンパンマンを教育的価値で見た場合の良くない所に焦点をあてて話してしまいましたが、勿論良いところもあります。
困っている人を無償で助けるということに関してはアンパンマンは素晴らしいです。
自らの顔面を犠牲にしてでもお腹が空いている人にパンをあげる。
その姿をみた子供はきっと心温かい、思いやりのある子供に育つ…かもしれません。
アンパンマンを観るにしても、動画を垂れ流しにするのではなく親と一緒に観て、親と一緒に考えることが大事なのかと思ったりしました(そこまで考える必要あるか?とも思ったり)。
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