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【体験談有り】小学校・中学校の教育で本当におかしいと思うところ

教育全般

小・中学生の頃って人生について今ほどは考えなかったからか、結構楽しかったです。

しかし、だからといって小学校・中学校に戻りたいとは全く思えません

 

あそこでの教育は明らかにおかしかったし、心底気持ち悪かった

当時もその気持ちは持っていましたが、大学生になった今になってその感情はより強固なものとなりました。

 

よくあの教育が未だに許されてるな、と驚きさえ感じます。

今回は義務教育過程を経た私の実体験を交えながら、小学校・中学校での教育のおかしさについて述べていきたいと思います。

全体主義

軍隊?

「気をつけ!礼!」

 

このセリフは学校教育を受けてきた人なら一度は発したことのある言葉でしょう。

でもこれをほとんど每日当たり前のようにやってるってよくよく考えたら怖くないですか??

 

まず「気をつけ!」ってなんだよ…軍隊かよ

 

みんな同時に、同じタイミングでやらされます。

 

別にやりたい人は勝手にやればいいと思いますが、それらを強制され、しかもそれを実行しないと教師から怒られるのがおっかない。

 

世界を知らず、価値を相対化できない小学生は義務教育スタート初っ端から洗礼を受けます。

 

「気をつけ!礼!は別にただの挨拶だしいいんじゃない?」と思うかもしれませんが、じゃあ例えば大学の講義でそれを強制しているところがありますか?

 

多分特殊なところ以外はありませんよね。

恐らく大学でそれが強制されたら絶対みんな「なんだこれ…」ってなります。

 

小学校や中学校は閉鎖的な空間であり、生徒も年齢が低く、簡単に洗脳されてしまいます。

だから誰もおかしいとは思いません(思えないが正しいかも)が、後から思えばおかしいと分かります。

”みんなで仲良く”の強制

小学校での遊び(学活?忘れた)とかも基本的にみんなと同じことをやるのが当たり前ですよね。

でも別に誰もがみんなと遊びたいわけではないと思います。

 

少人数で遊ぶとか、一人で遊びたいという人もいると思います。

別に活動の全てにおいて個人の意思を優先させろと言いたいわけではありません。

 

そういう機会も設けるべきだと思うのです。

「みんなで仲良く!」を強制させることが気持ち悪い。

教師は人間が本当にみんなと仲良くできるとでも思っているのでしょうか??

 

人間が皆、だれとも仲良くなれたとしたら戦争なんて起きていません。

 

 

この記事を読んでいる方の中にも、”どうしてもソリが合わない人がいる”という方は少なくないと思います。

 

そういったソリの合わない人がいても無理やり仲良くさせようとしてくるのですからそりゃいじめは起きるでしょ…と。

 

ソリの合わない関係の人と無理やり仲良くもしないけど排他はせずに存在は認める

そのような環境がベターなのだと思います。

学力向上の妨げ

勉強の方でも、過度に全体を優先させるときがあります。

 

例えば、勉強が得意な生徒は授業でやる内容よりも進んでいることが多いです。

小学生くらいだと、授業でやることを既に知っている場合、自分の知識をひけらかしたくて「それ知ってる!」と説明を始めてしまうような子もいると思います。

 

そのような生徒は小・中学校で何人かいましたし、私自身もそういう経験があります(恥)。

 

しかしそういう生徒は例外なく「みんなは習ってないんだから静かにしてなさい」とか言って注意されます。

 

 

確かに先生の言うことも分かります。

勝手な発言をする生徒がいると授業の妨げになりますからね。

 

しかし、だからといって勉強のできる生徒が既知である内容の授業を我慢して聞いていなければならないことを正当化する理由にはならないと思います。

 

学力の高い生徒のさらなる学力向上の機会が奪われるようになっているのです。

 

 

また、授業が退屈だからといって授業を無視して独自に進んで勉強していれば内申点に響きます。

内申点は入試に直結するものなので、この点数が低いと進路に関わってきます。

 

内申点をたてにして授業を聞くように言ってくる教師もいましたね…悪質すぎた。

無意味な縛り付け

校則

これに関しては高校でも言えることなのですが特に小・中学校はひどかった。

 

勿論、ルールは必要です。

無秩序が度を超えると学校運営にも支障がでるでしょうからね。

 

しかし、「このルール必要か…?」と思ってしまうようなものはたくさんあった覚えがあります。

 

そしてそれを疑問に思って「なぜそのルールが必要なのか」と聞いても「ルールだからちゃんと守りなさい」の一点張り…という先生を今までに何人も見てきました。

 

校則とかほとんどって意味ないだろうと私は本気で思っています。

 

例えば、私が勉強を教えていた生徒さんの学校ではタイツ禁止だったらしいですね。

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先生が生足フェチなのかしらと思う…

以前にネットで話題になった”マフラー禁止”の校則は本当にたまげました。

 

よくある校則の、髪のカラーリング禁止に関しても別にそのくらいいでしょ…思っている立場です。

 

頭髪の乱れは風紀の乱れとか言われますが、普通に考えるとこれはおかしな考えです。

 

髪を染めることで素行が荒くなるなどといった研究結果を私は知りません。

黒髪の人が金髪に染めたからって中身まで変わるか?って話です。

 

 

これは、髪を染めてはいけないというルールが最初から存在していることが大きいです。

そのルールがあると、髪を染めるという行為は当然のことながらルールを破るという行為になります。

 

ルールを破るという行為はは良くない行為ということになりますから

髪を染めた→ルールを破った

ルールを破った→良くない

 

ということになります。

 

これがいつしかルール関係無しに”髪を染めた→良くない”というふうになったのだと思います。

 

この考えをいつまでもズルズル引きずっているのは実にくだらないですね。

教師の自己満?

教師が生徒にやらせていることの中には、明らかに教師の自己満ではないかと思ってしまうことがあります。

 

印象的だったのが教師によるノートチェック。

自分の板書をちゃんと生徒がノートに書いているかを確認するのです。

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ノートチェックを成績に含める先生とかいました

 

ちゃんと授業を集中して聞いているかどうかを確かめるため、というのが目的となるでしょうがそれは多くの場合建前なんじゃないかと思っています。

 

そもそもノートを取るにしても必要な情報というのは人によって違うはずです。

それなのに板書を全部写さないと注意を受けるというのは如何なものかと…

 

申し訳ないですが、自分の授業をちゃんと聞かない生徒を気に食わないと思う幼稚な教師のすることだと思います。

 

そうでなくとも、授業中にノートを取るという行為は単純作業に陥りがちで、”勉強したつもり”になる場合が多いです。

 

ノートチェックを成績に含めるくらいなら、授業の最後に演習課題を課してそれを成績に含める方が何倍もマシでしょう。

教師の支配感

自分が小学生・中学生くらいの時、大人ってなんだかすごい偉大な存在に見えませんでしたか?

 

特に、学校の先生というのは人によってはその先の人生に大きく影響を及ぼす存在となります。

外部世界からある意味隔離された、あの学校という空間において生徒が教師を盲信してしまうのも仕方のないことなのかなと思ってしまいます。

 

 

教師は生徒よりも立場がかなり強いのです。

特に小学生相手ではクラスの支配というのは割と簡単にできるでしょう。

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大人を何十人も相手にするというのとは全然違いますよね。

 

例えば、「先生に言いつけてやる!」っていうのも教師がトップに君臨している事実を皆が共有しているからこその発言です。

生徒同士が問題を起こしても教師が間に入れば大抵収集がつきますし、生徒は教師に逆らえないというのが実際のところ。

 

 

この生徒に対する支配力のせいで教師の生徒に対する”指導”が指導の度を超えていく可能性の大きな要因です。

きっと「話がおおげさ…」という方は多いと思います。

 

しかし、行動というのは自らの役割に強く影響をうけるものなのです。

 

突然ですがスタンフォード監獄実験というものをご存知でしょうか?

 

(知らない方のためにウィキペディアの説明を貼っておきます)

心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された

一般人に看守役と受刑者役という役割を与えて演じさせるだけで行動もその役割に相応しいものになったのです。

 

実験の日数が経つにつれて、誰も指示していないのに看守役が受刑者役に罰則を与え始め、暴力まで振るうようにまでなったといいます。

これには支配者と被支配者の構図が明確であることも大きな要因の1つでしょう。

 

 

教師(特に小学校)に関して言えば、その役割上、接する相手は自分より弱い立場の人間達です。

スタンフォード監獄実験では”仮の役割”を与えただけですが、教師にとってその役割は”本物”。

度を超えてもおかしくないと思います。

 

事実、私の小学校のときの教師の指導は指導の範疇を超えたものへと変化していきました。

【最後に】~恐怖による支配~ 小学校時代の話

小学校高学年のときの学校生活は恐らく一生忘れないです。

 

担任の先生は大柄な男性の先生でした。

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体育が専門(?)の人でした。

怒ると本当に怖かった。

 

この先生なんかおかしいな…と思ったのが、生徒が忘れ物をした時の指導法。

”みんな”を強調

生徒が忘れ物をした時、先生はその生徒を他の生徒達の前に立たせて強く責めました。

 

この責め方が特徴的で、

「お前が忘れ物をしたせいで今みんなの時間を奪っているんだぞ!」というように”一人のせいでみんなが迷惑を被っている”ということを強調してきます。

 

そのあとで、忘れ物をした生徒に対して皆に謝るように促します。

このときの謝るセリフも教師が決めていて

「〇〇を忘れてすみませんでした。今から△△に気をつけてもう忘れ物をしません!」が定型句でした。

 

完全に形式的なものになってました。

 

ちなみに、「次からは忘れ物をしないようにします。」って言うと「気をつけるのは今からだろうがぁ!あと、しないようにしますじゃなくてしませんって言えや!」と怒鳴られます。

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心底どうでもいい…

怒られるだけでは終わりません。

 

忘れ物をすると、原稿用紙に漢字を書く宿題を出されます。

最初は忘れ物1つにつき原稿用紙一枚分と決まっていました。

 

しかしだんだんとその決まりも無くなっていき、結局原稿用紙の枚数は完全に先生の機嫌によって変わっていました。

 

 

忘れ物だけではなくて、何かしらで先生の機嫌を損ねても原稿用紙の罰が課されることがありました。

 

ですから、生徒たちは常に先生の機嫌を伺ってビクビクしながら学校生活を送っていたのです。

本当に異質な日々でしたね。

エスカレート

あの教師はほとんど每日何かしらで怒ってましたね。

注意っていうレベルではなかったです。

 

怒鳴り散らしてました。

 

最初から怒号を浴びせるタイプの人間でしたが、だんだんそれは激しくなり、ついには暴力を振るうようになりました。

 

革靴で蹴ってきたり、手でどつき続けて壁まで追いやったりしてました。

小学生相手に何やってんだって感じですがそれが”日常”。

 

友人が暴力を振るわれていた時、止めに入ったことがありますが、私もどつかれました。

 

ちなみに言っておくと時代的に教師の暴力は完全にアウトな時代です。

今同様、暴力教師とか普通にニュースとかになる時代ですけど、うちの教師は気にしなかったんでしょうかね…

抵抗できない

あの教師はかなり幼稚な人だったんじゃないかと今は思います。

弱い者いじめをするいじめっ子となにが違いましょう。

 

こっちは小学生です。

身体的には絶対に勝てないですし、大人を言い負かすことも難しい。

 

そこに漬けこみ、恐怖によって生徒を支配し自分の思い通りに動く環境を作り上げてました。

いろんな教師がいましたが流石にあれが一番おかしかったですね…

 

 

ここまで色々批判を述べてきましたが、私だって義務教育それ自体に批判的であるわけではありません。

経済的余裕のない人も皆と同じように教育を受けられる、素晴らしいと思います。

 

ただ、あの閉鎖的な空間は危険ですしその空間の統治者である人間は変なのが多い。

私の周りだけたまたまそうだったとかなら良いですが実情はそんなことはないらしく…

 

寺小屋みたいな感じが一番良いんじゃないかと思います。

コメント

  1. かいと より:

    このブログ、俺が小学生やった頃に見せたかった……。共感し過ぎてヤバい😭

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