電車内での代表的なマナーとして、携帯電話での通話の禁止・化粧の禁止があります。
これらのマナーは皆当然のものとして受け入れていますし、
このマナーを守らない人は周りから顰蹙を買うことでしょう。
しかし、私はこのマナーの必要性を全く感じません。
意味の無いマナーだと本気で思っているので、今回はそう思う理由について書いていきます。
電車内での通話
まずは車内通話。
電車内での通話は他のお客様のご迷惑ですので辞めましょうという文言がありますね。
これに関してですが車内通話を禁止するなら車内私語を禁止しないとおかしいと言いたい。
通話自体は確かに他の客の迷惑にはなっているかもしれません。
では車内私語はそうではないのでしょうか?
電車に乗っていると、本当にうるさくてしょうがない集団の乗客っていますよね。
でも彼らが周りに配慮して静かにひそひそおしゃべりしていたら、まぁいいかとなりますよね。
しかし、車内通話では静かに通話していたとしても白い目を向けられます。
これは私にとってとても不思議でなりません。
車内通話でも車内私語でも声量が同じだと仮定すれば迷惑度は同じはずなのです。
車内私語自体を迷惑行為とした前提(流石にそれは厳しすぎるルールなので適用されていないのでしょうが)なら車内通話が禁止なのは分かります。
しかし現時点での車内マナーでは私語は許され、通話は許されていません。
よくよく考えるとおかしいルールだとは思いませんか?
電車内での化粧
これも皆が共有している車内マナーの一つだと思います。
これも分からない…
車内での化粧が誰に迷惑をかけているのか私には全くわかりません。
勿論、匂いがきつすぎるとか、粉が飛ぶだとか、明らかに他の乗客に迷惑をかけている化粧はダメだなとは思いますが、それは個人で気をつければいい話です。
歩くときに他の人にぶつからないように歩くのと同じ。個人の裁量。
全面的に車内での化粧はダメ!とするのはナンセンスだと思います。
このマナーに関する話で、東急電鉄さんの掲載したポスターが物議を醸したことがあります↓
【わたしの東急線通学日記①】上京したばかりの女の子が主人公。電車内のマナーについて描いた連載企画です。https://t.co/g1xCAW6bne(M) #東急線 pic.twitter.com/EyGzmv68Wy
— 東急グループ(公式) (@tokyugroup) 2016年9月30日
上記ツイートの右側の画像になります。
「車内での化粧はご遠慮ください。」という呼びかけですが、
このポスターを見て驚いたのが化粧をしている女性のことを「みっともない」と表現していることです。
マナーを守るべきことを呼びかける文言で、「みっともない」と言われましても…
第一、みっともないというのは見る側の感想でしかありません。
勿論みっともないと思うこと自体は自由です。
ですがみっともないと思われるのは化粧をしている人ですよね?
行為者がみっともないと思われるのを認めた上で化粧をしているのでしたらほっとけばいい話ではないですか?
そこまで個人の自由を制約する必要があるのかと思ってしまいます。
無意味なマナー・ルールの盲信
世の中には意味のないマナー・ルールが本当に多くあります。
上述した電車内マナーの違反についても、
まず車内マナーというものが存在していて、そのルールに反していることについて不快感
を覚えている人がほとんどだと思っています。
マナーそれ自体の意味、必要性について考える前に決められたマナーに違反しているという事実に腹を立てているのです。
これはかなり滑稽です。
マナー・ルールとはそれを実施することで個人に制約が生まれますが、それを個人が守ることで全体にとってメリットが生ずるもののはずです。
それなのに、制約によって全体にメリットがないのならただ個人を拘束しているだけになります。それを振りかざしたところで誰も得はしないのです。
無意味に個人の活動を制約するのは全体としてのデメリットにもなりえます。
マナー・ルールをはじめから盲信するのではなく、一つ一つその意味・必要性について全員が考えるべきです。
昔は意味があったというルールもあるでしょうが、今の時代に合わないルールならば即廃止するべきです。適宜確認する必要があります。
少なくとも「ルールだから駄目」などという思考停止状態だけは避けてほしいものです…
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