「勉強せずに後悔した人はいても、勉強し過ぎて後悔したという人はいない」という旨の言葉はしばしば耳にします。
実際概ねその通りだと思いますが、勉強した結果として現れるデメリットもなくはないです。
今回はできるだけ日常生活に寄せた例を持ち出して、勉強すると具体的にどのような悪いことが出てくるのかといったことについて書いていきます。
勉強するとノリが悪くなる
勉強するとノリが悪くなるとはどういうことか、具体例で説明します。
突然ですが、友人達と映画を観に行くという状況を考えてください。
友人の1人のA君は最近映画にとても興味を示していて、撮影手法や構図などについて個人的に勉強している人だとします。
友人達と映画を観終わった後、程度の多少はあれ互いに感想を言い合うものですが、その時に映画について勉強した人とそれ以外の人では感想に明かなギャップがあります。
なぜなら、勉強している人の映画鑑賞の仕方と娯楽として映画を観ている人のそれは大きく異なるからです。
きっと映画に詳しいA君は、あのシーンの構図は良かった、あの演出はいかにも〇〇監督らしいなどのコアな感想がたくさん出てくるはずです。
しかし、娯楽としてしか映画を観ていない場合、「面白かった」「つまらなかった」「▲▲のシーンびっくりした」などの、キャラやストーリーについての感想でおおよそ終わってしまいます。
そんな話で盛り上がってるところにA君が自身の感想をぶつけたらどうなるでしょうか。
きっと周りの友人達は「そんな細かいこと知らないよ笑」「そうなんだー」くらいしか言えません。
なぜなら知識がないからです。
彼らにとってA君は“ノリが悪い“人として映るでしょう。
A君は感想をぶつけてもフィードバックがない故に楽しくないでしょうし、きっと次からはその話題は出さないようにするでしょう。
結果、A君はその友人達と映画を観に行っても思い切り楽しめない上に、感想を好きに言えないのでフラストレーションが溜まってしまうことになります。
映画の勉強をしていなかった過去のA君は、それまでは友人達と映画を観に行って互いに感想を言い合って楽しめていたはずです。
勉強をした結果、友人達とは(映画に関しては)話が合わなくなってしまったのです。
今回はたまたま映画を出しましたが、音楽なんかもこれとほぼ似た話になるでしょう。
また当然、芸術に限らず勉強をするとあらゆる分野についてこういったことが生じます。
学問に向き合えば、似非科学で盛り上がっていたグループに「それは厳密には違くて…」と研究結果を語ってしまうことになるかもしれません。
それもまた“ノリが悪い“と見なされてしまうことでしょう。
こういったことを繰り返していくと段々と付き合う人間の数が限られていきます。
勉強する人は友達が少ない傾向にある(主観)ことには間違いなくこれが関係しているとと思います。
知識がないおかげで楽しめることがある
知識があることで楽しめることが世の中にはたくさんあります。
ある作品において、元ネタが世界史から取られていたり、ある思想家の考えが世界観のベースとなっていたり、細かい技術設定に数学や物理が用いられていたり……というのはよくあることです。
そういう時に勉強していて良かったなと思いますし、実際作品をより深く楽しめます。
その一方で、知識がないことで楽しめることも存在します。
これは実体験としてあります。
ある作品の鑑賞後、「あぁ素晴らしい作品だった」と思い、他の人の考察などを見ていた時のことです。
あるレビュー者が「〇〇学の△△の分野の知識があればオチは分かりきってしまう」と書いていたのを見つけました。
そのレビュー者は知識がある故にオチが読めてしまい、その結果その作品に対して「つまらない」という評価をしました。
対して自分は、知識がない故にオチが読めず最後までハラハラすることになり、その作品に対して「面白い」という評価をしたわけです。
そのレビューを見たとき、「勉強してなくて良かった〜」とは流石になりませんでしたが、事実として自分がその作品を楽しめたのは勉強してなかったからです。
勉強している人を楽しませるというのは難しいのです。
勉強すればするほど、楽しいと感じる閾値が上がってしまうとも言えるでしょう。
ではなぜ勉強するのか
ノリも悪くなり、話の合う人も少なくなり、楽しさを感じるための閾値も上がってしまう。
これらのデメリットがありながら、なぜ勉強する人がいるのか。
その理由は結局のところ以下2点に収斂すると思います。
・知的好奇心の衝動を抑えられない
・デメリットを遥かに上回るメリットがある
知的好奇心の衝動を抑えられない
自発的に勉強している人の多くはそもそも勉強する意味など恐らく求めていません。
単純に知りたいから勉強するのです。
知的好奇心は誰もが持っているものですが、その程度が一定以上の人はただ黙々と知を探求することになります。
デメリットを遥かに上回るメリットがある
勉強する人はそもそもデメリットをデメリットとして認識してない説はあります。
特に「話の合う人が少なくなる」なんてむしろ好都合と思っているかもしれません。
一部の話の合う人と深い話をしている方が楽しいからです。
また、勉強自体にとても大きなメリットが伴うということを知っているから勉強しているという人もいるかもしれません。
植物学者、牧野富太郎の有名な言葉に「雑草という草は無い」というのがあります。
植物の知識がなければ道端に生えている草の殆どは雑草として処理されて終わりますが、実際にはそれら雑草一つ一つに名前があります。
植物についての知識があればそれらの名前が思い浮かんだり、それと同時にその植物の性質などにも思いを馳せることになるでしょう。
これはつまり、ただ道を歩いているだけで外の世界を楽しめるということです。
勉強をすると世界がより鮮明になります。
当然外の世界だけでなく、例えばニュース1つを聞いて考えること・得ることが広がったりもするでしょう。
勉強することによって人生が楽しくなるといっても過言ではないのです。
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