「発達障害は個性である!」と胸をはって主張できる人がいる一方で、「いやいや実際キツイよ…」という主張の人もいます。
前者は単純に、自らの特性と今いる環境がマッチしているからそういった主張ができる、という場合が多いと思います。
しかしこれは少々結果論的であります。
他にどういった要因でこの考え方の違いが生まれるかを少し考えました。
勿論そもそもの性格の違いと言ってしまえばおしまいなのですが、私は能力の凹凸というものに着目してみました。
発達障害の特徴:凹凸
発達障害というと広すぎるかもしれませんが、大きな特徴として発達に偏り(凹凸)があるということがあげられるでしょう。
この凹凸というのはADHDであれば、ある環境下におけるモチベーションの凹凸(度合い)かもしれません。
ASDであれば、暗記は得意だけどコミュニケーションは不得意などといった特性の凹凸のようなものが考えられます。
発達障害者は凹凸の凹の部分で非常に苦労しているわけですね。
では、凸の部分ではどうでしょう。
私が思うに、この凸の部分に対する印象が発達障害者間で異なり、それが一因(あくまで一因です)となり発達障害を前向きに捉えられるか否かに大きく影響を与えていると思います。
能力が凸と言っても…
能力の凸の部分が平均的能力値よりも凸ならばいいのです。
あとはその凸の部分と相性のよい環境に巡り合うための行動力と運次第です。
相性のよい環境にめでたく出会うことができれば、発達障害を前向きに捉えられます。
問題は凸の部分であっても平均を大きく下回ってしまう場合です。
例のごとく(誤解を生みそうな)図を今回も用意しました↓
上図でいう能力とは、例えばコミュニケーション能力、運動技能、マルチタスク能力といったような社会生活を営む上で確認されうる様々な能力のことです。
だからあえて能力A、B…というふうにぼかしています。
能力が6つなのも特に意味はありません。
定型発達者の能力がこんなにバランス良くなっているとは私も思っていませんが、目安としての簡易表現だと思ってください。
注目してほしいのが能力の凸の部分です。
図1の凸の能力は一般と比べて突出していることになります。
その凸を活かせる環境にうまくはまり込めば活躍できるわけです(あとは精神の問題)。
図2でも同じように能力に凹凸がでています。
しかし凸の部分であっても一般と比べて突出している、とは決していえない状況となっています。
こうなると自己肯定感を上げるのは難しくなってくると思います。
(自分の中では)かなり得意なことでもその部分が武器にはならないのかもしれないのです。
こういう状況下では流石に「発達障害は個性だ!」と声高らかに主張することはできなくなるでしょう。
”何もできない私”が出来上がってしまう可能性が高くなるのです。
自己肯定感を上げるには
”何もできない私”に気づいた時、どのようにして自己を肯定していけばいいのでしょうか。
残念ながらこの問いの答えは私も分かりません…
というか現在の状況、個人の性格など様々な要素によってその問いの答えは人によって違ったものとなるものでしょう。
ただ、取り敢えず色々なことに手を出してみるというのは多くの人に当てはまることではないかと思います。
勿論うつ状態の時には、なにかしらの行動を起こす気力すら生じないでしょうが…
グラフ図で言えば、能力A~Fが全然駄目であることを自覚した後、新たに能力Gを発見(自覚?)することを目指します。
そんな能力がそもそも存在するのかなんてことは勿論分かりません。
しかし、存在しないとも断言できません。
そして存在を確かめるためには大変面倒なことに自分で行動しなければならないのです。
私自身、自分の凸部分(それが何なのか、それがあるのかすら知りませんが)をうまく活かせるように取り敢えずチャレンジしてみるということを意識はしています。
しかし、”チャレンジしてみる→うまく行かない→やっぱり何やっても駄目だ→しばらく休もう”のループにずっとハマっているのも事実。
はっきり言ってほとんど諦めていますが、奇跡的にやる気がでた時はその好機を逃さないように頑張っていく所存です。
そのタイミングに運が重なってくれることを願っています。
おそらく似た悩みをもつ人の多くがこんな感じか、もしくは似た道を通ってるんじゃないかと勝手に思っています。
なにか良い方法があれば教えていただきたいものです。
人生はつくづく運ゲーであります。
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