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【うつ病体験記】うつ病診断されるまでの過程と現在の状態

大学生活

私は1年ほど前にうつ病の診断をくだされました。

おそらくですが、その診断の2年くらいまえからずっとうつ病の状態になっていたと思います。

悠

それ以前から病院に行こうと思ってましたが面倒で行ってなかった

 

うつ病の原因が例えば人間関係だったら最悪それからは逃げることができます。

しかし私の場合はその原因は自己でした。自分からは逃げられません。

 

自分自身について考えた結果、”自分は生きていてもしょうが無能人間である”という状態になり、生活も精神も崩れていきました。

 

ただ、これは自分自身を見つめ直した結果なのでこれはうつ病というよりも私個人の私自身に対する考えであるような気がしなくもないです。

 

まぁそういう話は本題からそれるので置いておきます。

今回はそれらのうつ病体験について書いていこうと思います。

 

うつ病というのは誰しもなる可能性のある病気です。

今現在元気であってもいつか自分にふりかかる時がくるかもしれません。

 

「うつ病ってこんな感じなんだー」と軽い気持ちで読んでいただけたら幸いです。

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高校以前

高校以前の私に、「あなたは将来うつ病になるよ」と言ったら、当時の私は絶対に信じないでしょう。

 

特に小・中学生のときなんて将来のことなんて全く考えずに每日遊んでばかりいましたからうつ病などというものとは完全な無縁状態でした。

 

小・中学生のときは本当に楽しくて(学校はそこまで楽しくなかったが)今でも私の人生の最盛期は小学校時代だと思っています。

悠

いつかその全盛期を超えてくれれば良いんですけどね…

微小な変化

変化があったとしたら高校生のときですね。

きっかけがなんだったのか今でも分かりませんが、交際範囲を極端に狭めていました。

 

友達は極力少ないほうがいいという考えに固執し、あまり自分からは人に接しませんでした。

悠

実際、今すぐに連絡が取れる高校の友人は2人しかいません

 

とはいってもそのことは別にうつ病とは直接的には関係がないでしょう。

単純な心境、生き方の変化です。

 

強いて言えば、交際範囲を極端に狭めることで一人の時間が増え、考える時間が長くなって思いつめてしまったということで間接的にうつ病と関係があるかもしれないですね。

 

高校生になれば流石に将来のことも考え始める時期ですが、なんとなくそこそこの大学に入ってそのままどっかに就職するんだろうなーと思っていました。

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大学受験で自分に違和感を感じる

中学3年生の夏から成績を急上昇させ、高校受験でも一応第一志望に合格できた私は自分に対する自信がありました。

 

今考えたら「たかが受験でつく自信ってなんだよ笑」って感じですが、まぁ中高とかそんなもんだと思います。

 

高校のことは、今まで散々自分語りしてきた気がするので飛ばしますが、取り敢えず高1の時の成績急上昇に味をしめ、それ以降急に勉強をサボり始めたのです。

 

問題なのが3年生の時期です。

高校受験での成功体験があったからというのが大きいのでしょうが、大学受験も失敗はしたくなかった。

さらに、自分に自信があった私は第一志望を難関大に定めました。

 

しかし大学受験は甘くはありません。

私の高校は有名な高校とかでは全くなく、たかが地方の一自称進学校です。

 

その高校に入るための試験と、全国から猛者があつまる大学受験ではレベルが違いすぎます。

高校3年生になって流石にそろそろ本気で頑張らないとヤバいと思いました。

 

しかし、受験生の年の4月を過ぎても、夏前、夏休みになっても自分の思い描いたような努力が全くできませんでした。

 

受験生の夏とかだと今まで努力してこなかった人達の多くも受験ガチ勢になってきます。

その中で全然頑張れない自分が本当に嫌になっていました。

 

周りの難関大を目指す人は平日で4,5時間、休日は10時間近くやっている人もいました。

そんな中、每日学校から帰ってはアニメを視聴し、休日に少し勉強するくらいだった私。

 

手を抜いているとかではなく、本当に全力で頑張りたかったんです。

でもできなかった。

今ではそれが(多分)発達障害のせいだと思えますが、当時の私は自分に酷く失望しました。

 

結局、夏休み後もあまり勉強できずダラダラ過ごして時間は過ぎました。

直前期くらいは流石に勉強時間が増えていた記憶がありますが、周りに比べればその勉強時間もゴミだったでしょうし、そもそもの遅れもあったので時既に遅し。

 

第一志望には自明に不合格。

それでも、第二志望の大学にはなんとか進学できました。正直運もあったと思います。

 

大学受験をきっかけに自分の”頑張れなさ”を自覚した私ですが、それは初戦受験での話であり、他のことにおいてもその”頑張れなさ”が露呈するとは思っていませんでした。

 

しかし、それは大きな間違いだったのです。

大学生になってから自分の本質が顕になっていくこととなりました。

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大学

進学先の大学は完全に大学名と学部名で決めました。

滑り止めは受けたくなかったのですが、親が「滑り止めは絶対に受けろ」としつこかったので渡されたパンフレットを見て数十秒で決めました。

 

これがほんっっっっとうに失敗だった。

高校生の方が読んでいるか分かりませんが、高校生は学部選びは全力で悩んでください。

 

 

入学後、四年間で学ぶことを記したパンフレットのようなものを見てみても全く興味が持てませんでした。

そして授業開始5日で大学不登校になりました。

 

ここらへんから色々おかしくなっていきます。

取り敢えず、興味のないところに4年も通えるわけがないと思って受験勉強を頑張ろうと思いますが、やはり頑張れない。

 

心機一転、留年してもいいから大学の講義を頑張ろうと思っても頑張れない

大学に行こうとすると湿疹が出たりしてました。

 

もう大学卒業は無理だと思い、バイトを頑張ってみようと思いました。

 

東京にいた頃に3回バイトに挑戦しましたが、全部1日か2日で辞めました。

 

バイトすら頑張れませんでした。

 

このような経験を経て何もかも頑張れない自分という存在に気づきました。

私には努力するための根性、そして継続力が人よりも圧倒的にありません。

 

将来どうやって生きていけばいいのか分からなくなってしまいました。

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精神状態悪化

自らの生の価値

バイトもやっていない、大学にも通っていない、何者でもない人間として過ごす日々が続きました。

大学を卒業できないだけでなく、仕事すらできないんならもう全部無理じゃんってなってましたね。

 

”大学に通う”とか”バイトをやる”とかそういう当たり前のことができないと「じゃあ自分は何ならできるんだ?」となり、自己肯定感が酷く下がります。

 

また、大学の学費や生活費など諸々のお金は全て親持ちだったので親にも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そして次第に「自分が生きてても誰も喜ばない。というか自分っていないほうが良くね?」という考えが強くなりました。

 

知り合いが数人自殺で亡くなっていることで自殺が身近に感じられたのか、自分にもその行為は可能なんじゃないか?という謎の考えに依拠し、每日死ぬことばかり考えていました。

 

自殺方法や自殺場所、遺書なんかも考えたりしてましたね。

悠

このへんはうつ病の人あるあるだと思います笑

でも結局その勇気はありませんでした。

勇気がでないということは将来うまく生きることができる可能性を信じているということなのか、それとも絶望度が足りないのか。

 

それは今でも分かりません。とにかく無理だったのです。

 

海で足とかつって事故って死んだらラッキー(勿論そんなうまくいくわけがないのですが…)とか思って、実際に服・靴を身に着けたまま夜の海に入っていった時は本当に怖かったです。

 

 

音は耳から入ってくる水の音だけ。視界は目を閉じても開いても闇。

自分の真下で無限に下まで続いているのではないかと思えるような真っ暗な海底。

 

多分一生忘れないです。

取り敢えず言えることは、その程度でビビってるようじゃ飛び降りとかは無理だってこと。

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生活

起きていると嫌でも考え事をしてしまうのでひたすら寝ていました。

寝すぎて眠れなくなると無意味にお菓子をたくさん食べてました。

 

睡眠欲・食欲ときたらあとは性欲。

最初は性欲もありましたが、時がたつにつれて減衰していきました。

食事とかもそのうち面倒になってきて野菜ジュースだけとかヨーグルトだけとかそんな感じに。

シャワーも浴びずに基本一日中ベッドで寝転んでいました。

 

唯一の救いがあったとすれば、定期的に友人がピンポンを押しに来てくれたところ。

「生きてるー?」と冗談交じりの呼びかけで訪ねてきてくれていたのは今思えば本当にありがたいことだったのだろう思います。

 

しばしば夜中から朝型にかけて一緒に散歩とかしてました。

6,7歳年上の人ですが、同級生のように話ができて本当に良かったですね。

診断

このへんで病院に行きました。

この診察しようと思った過程とかを説明すると長くなるので省きますが、病院に行くほどの冷静さが残っていたので意外と大したことなかったのかもしれませんね。

 

上記のようなことをゴタゴタ述べていると「はい、あなたはうつ病です」ということをお医者様に言われるわけです。

 

うつ病という診断で自分の客観視を迫られます。

「あぁそうかー自分はうつ病という区分に入る精神状態なのかー」みたいな。

 

薬も貰いましたが、なんか怖くて飲みませんでした笑

 

具体的に状況が変わるわけでもないです。

ただ自分が意外と追い詰められていたということの自覚はできた。

 

ここで(友人のすすめもあって)とにかく東京を脱出することを考えました。

いきなり東京脱出がでてきて飛躍感が否めませんが、とにかく私は東京が本当に嫌いだったのです。

人が多い。音が多い。

 

「東京を出て何かが変わる保証はない。でもこのまま東京に居続けても確実に何も変わらないことだけは言える。」みたいな助言を友人から受けました。

実際私も(田舎育ちだからだと思うけど)もっと静かなところでのんびり暮らしたいと思っていました。

 

そして京都へお引越しすることにしたのです。

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現在の精神状態

当たり前ですけど、場所を変えたからといって自分の無能さが治るわけではありません。

 

しかし、京都に引っ越したのは間違いなく正しい選択でした。

なんといっても静か。自然も豊か。

 

どんだけ静かなことに拘るんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は音が本当に苦手で、例えば店で一人でご飯を食べるときもイヤホンをしないと頭がどうかしそうになります。

 

私にとってはかなり重要な問題なのです。

そんな私にはこの静かな環境は大当たりでした。

 

無論、将来への不安は以前と全く変わっていません。

大学も結局全然行けてませんし、留年はほぼほぼ確定でしょう。

卒業できる自信もありません。

 

ただ、バイトに関しては進歩があって、カテキョバイトを最後まで続けられました。

初めて最後まで(短期間でしたが)バイトができたので結構嬉しかったです。

 

奇跡的に大学を卒業できたら一応京大卒ってことになるので、なんとか家庭教師の仕事でギリギリ生きていけないかなぁとか思ってますがまぁ難しいでしょうね。

 

最近は生きているというより生かされているという感覚に近いです。

主体的に生命活動を営んでいるという意識が全くありません。

 

本当にやばくなったらその時の自分が死を選んでくれることに期待。

今はその時がくるまでの謎の空白期間だと思っています。

 

こうやってブログを書いたり、楽器をやったり、たまに大学の講義を覗いたり…そのようなことでこの空白期間を埋めています。

 

私と同じような状況の人は絶対にいるとは思うのですが、そういった方々が每日何を考えて生きているのかが気になります。

 

生きていくとしたら将来どうやって生きていくのか。本当に想像がつきません。

 

 

今思えば私のうつ病は発達障害による二次障害でしょう。

別に医者に言われたとかではないですが、うつ病になった過程などを考えるとその線が濃いと思います。

 

今現在うつ病の人も、うつの原因をもう一度改めて全力で考える(紙に書きだすくらいしてもいいと思う)ともしかしたら解決までの時間を短くできるかもしれません。

 

人間、内省さを欠いたら終わりだと常々思います。

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また1週間くらい時間が飛んだ。この1週間何をしていたかよくわからない。取り敢えず今日は親から電話がきて、恐らく3日ぶりくらいに声を発した。3日ぶりに自分の声を聞いたのだった。(2020.4.29)

コメント

  1. あ あ より:

    私も精神状態の悪化により、長い期間大学に行けなかった京大生です。バイトも何回かチャレンジしましたが、すぐ辞めてしまい、そんな自分を責めてしまう気持ちがよく分かります。現在は、留年や就活など将来の不安に押し潰されそうになる時もありますが、自分が出来る範囲で講義に出るなどしています。頑張りましょう。

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